引き寄せの法則の体験談に観る傲慢

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

自己啓発系で未だによく売れるロングセラー本に「思考は現実化する」という、ナポレオン・ヒル氏の本があります。
393239 以前、漫画版の小冊子が無料で手に入るサービスがあって、申し込んだらバックエンド商品を売りつける電話がありましが。



「思考は現実化する」から色々派生した自己啓発系の方法論なりメソッドと呼ばれるものに「引き寄せの法則」なるものがあります。

引き寄せの法則というのは、潜在意識に語りかけたり、アファメーションといった方法論があります。



今は全部処分しましたけれども、私も一時自己啓発の本を読み漁っているときに、関連書籍を読んだこともありますし、アファメーションのやり方なども学んだ事はあります。

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私も、目標を毎日紙に書いたり、もの凄く願ったりして実践し、行動も伴わせていましたが、結局成就しませんでした。



潜在意識について、仏教においては「末那識」「阿頼耶識」などの唯識論に通じるところがあるような印象を受けます。

潜在意識の活用などについては、別に否定したりはしませんし、引き寄せの法則それ自体は私も全否定したりは致しません。



ただ、引き寄せの法則体験談なるものを読んで、ちょいと思うところが御座います。

引き寄せの法則の体験談に思う事

自己啓発系の有名なDVDに、ジョン・F. ディマティーニさんや業界で有名な人も出演されている映画「ザ・シークレット」という作品があります。

著名人の引き寄せの法則体験談満載のDVDという印象でした。



現在は、引き寄せの法則体験談もネット検索すれば個人ブログなどで幾つも観られますし、私もザッピングする形で眺めてみたことがあります。

そういった引き寄せの法則体験談では、「健康を手に入れた」「お金や富を手に入れた」
といった、健康になったりお金持ちになったりという成功体験談が目に付きますね。

中には「身長が伸びた」「理想の恋愛が出来るようになった」と言うのもあります。



そういった「引き寄せの法則体験談」を読んでいて、「それは引き寄せの法則と関係があるのか?」と、引き寄せの法則を鵜呑みにしたり、なまじ成功してしまうことの危うさを感じたものです。



そもそも「身長が伸びた」って、引き寄せの法則の力なんでしょうか、この辺りについて、はなはだ疑問です。

身長が伸びたとか健康を手に入れたとか、それこそ医学的な理由によるものであり、引き寄せの法則が全てではないでしょうに。

それを「身長が伸びたのは引き寄せの法則によるものである」と体験談として語られているところに、絵も言われぬ怪しさや危うさを感じる次第であります。



引き寄せの法則体験談を色々と読んで、真っ先に思った事は
:霊感商法などの口コミやお客様体験談ぽい
ということです。



「この財布を買ったから金運が良くなった、お金持ちになった。」
「このブレスレッドの力で理想の恋愛を成就出来た、結婚出来た。」
「このパワーストーンがあったから受験した大学に合格できた。」
このような、スピリチュアル系の雑誌の広告で観たことがあると言う人もいらっしゃるでしょう。

「引き寄せの法則を信じて願い続けたら、お金持ちになって富を得た。」とか、財布やパワーストーンが引き寄せの法則に変わっただけという印象です。
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引き寄せの法則の体験談に観る危うさ

引き寄せの法則体験談で、成功体験を語っている人達は、個々に成功して幸せを感じていらっしゃるようですから、それはそれで祝福させて頂くところであります。

引き寄せの法則が結果に全く無関係という証明は原理的に出来ませんから、結果的に成功なり幸福に至ったということは、それはそれで素晴らしい事です。



ただ、引き寄せの法則によって成功したという体験談を読んで観て思う事に、
:傲慢な人になってしまう危うさ
もあるのではないか、そのように思うに至りました。



物事を成し遂げたりするという事、結果に至ると言う事は、多くの因縁果や関係性によるものです。

仏教ではその因縁果や関係性をとても大切にしており、結果に至るまでに関わってくれた縁に「お陰様」の在り方にて感謝をする事を教えて下さっています。

その「お陰様」を毎日意識して、感謝させて頂く智慧が、仏教には御座います。



その智慧の一つに、例えば食事をする際に、禅宗では
:計功多少量彼来処
(一つには功の多少を計り彼の来処を量る)
という偈を称えます。

これは「この食事が調うまでに関わった多くの人々や事柄に感謝致します。」という意味です。

米一粒が食卓に並ぶまでに関わった、全ての縁に「お陰様で食事を頂く事が出来ることを感謝致します。」という感謝を込めた偈文です。



それを踏まえて、引き寄せの法則体験談を読んで観ると、どうも「この成功は引き寄せの法則によるものだ!」「俺が強く願って引き寄せたのだ!」と、自分が引き寄せの法則を使いこなしたことで、健康やお金を手に入れて成功した、という印象や雰囲気さえあります。



引き寄せの法則やアファメーションを取り入れて商売を成功させてお金持ちになった場合、それらとの関係性は零ではありませんし、引き寄せの法則による成功事例と言えなくもありません。

でも、商売で成功を収めたという背景には、原理として「お金を出してくれたお客様や出資者のお陰様」があるはずです。

そのお客様との関係性やお陰様という感謝が抜け落ちすぎている気がするのです。



もし、縁に感謝するという概念を持っていない、あるいはそういった念の薄い人が、幸運にもお金や仕事で成功したと錯覚される状態になった時、引き寄せの法則なるものに感謝したと致しましょう。

そのような成功を体験してしまったら、傲慢な我利我利亡者に堕ちるのでは無いか、そのような危険性を私は見出しております。



数多のご縁に感謝する事なく、目の前のお客様や支えて下さる方々への感謝をせずに、「成功したのは引き寄せの法則」と、そのような在り方の人を、あなたはどう思われるでしょうか。

少なくとも私は、傲慢な我利我利亡者という姿を、その人から見出します。



無理に引き寄せの法則を捨てろ、とか、仏法を強制的に学ばせるなんて事は致しません。

致しませんが、「自分の力だけで成功を引き寄せた」という、他者への感謝を忘れたり、他者との縁を排除したような傲慢な人にならない智慧やブレーキとして仏法がある、そのように私は思うております。
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引き寄せの法則ではなく「ご縁を賜った」

私は、引き寄せの法則について、「努力したから運を、成功を引き寄せた」「自分が稼げたのは引き寄せの法則のお陰だ」という体験談を申す方は、このような色眼鏡で観ております。

私の色眼鏡によって、少々引き寄せの法則について懐疑的であるという自覚は御座います。



その上で、引き寄せの法則によって傲慢な亡者にならぬため、人の協力やご縁をないがしろにしないために、成功体験談などは、このように考えてはどうだろうか、という仏教の智慧を思うております。



それは、
:ご縁を賜った
と、ご縁に感謝すると言う仏教の智慧です。



例えば、お金や仕事で成功して、富を得たとしましょう。

その場合、「引き寄せの法則によって、私は富を得た」という場合と、「数多のご縁を賜った」という場合と、どちらが謙虚でありましょうか。



引き寄せの法則によって富を得た、引き寄せの法則を信じて行動した自分の実力だ、というのは、まあ、間違いではないのでしょう。

しかし、そのような人よりも、私は目に見えるものも眼に見えないご縁にも、「ご縁を賜り感謝致します」と、そのように仰る方の方が謙虚であると味わいを頂いております。



そもそもとして、仕事やお金を頂けたのは、それらに関わる事物や人のご縁が結ばれたからこそ、ご縁賜ったからこそです。

自身の実力以外の作用や、「縁起(えんぎ)」があるからこそ、それが仏教的な態度であります。

「縁起」という、釈尊(お釈迦様・ゴーダマ・ブッダ)が悟られた仏法は、ここでも有り難く活かさせて頂けます。



引き寄せの法則について、実際にそう思えるようなことと巡り会った場合、体験談として自慢したくなるのも、わからんでもありません。

しかし、そこをグッとこらえて、数多のご縁に感謝申し上げる人でありたい、私は引き寄せの法則の体験談などを観て、そのように自身を戒める次第で御座います。
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引き寄せの法則の体験談の小話:神秘家という職業について知りたい

最後に、気になった雑談を少々。



「ザ・シークレット」の中に、
:神秘家
という職業の人が登場されるのです。

この、神秘家とはどういう職業でどのような仕事をされているのか、もの凄く気になります。

僧侶や神父、牧師ではなくて「神秘家」とわざわざ名乗っていらっしゃるわけですから、お坊さんのような聖職者とは違うのでしょう。



神秘家って、どんな仕事で何をやって生計を立てていらっしゃるのか、私にとっては不思議な存在です。

悟った人とか、そんな感じなのでしょうか。



合掌

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