有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。
あなたは、中秋の名月の由来と意味をご存じでしょうか?
中秋の名月・芋名月と「後の月(のちのつき)・栗名月」と呼ばれる名月を観賞する「観月」は、京都ともゆかりのある言葉であり、中秋の名月の観賞由来も京都に御座います。
中秋の名月と後の月の2回、秋には「二夜の月」として、秋の月を2度楽しむ風習は、現在では薄れているような感じが致します。
また、この時期にお供え物として用いられる、団子や芋などの食べ物にも由来や意味が御座います。
中秋の名月と後の月の由来
中秋の名月と後の月の観賞、「観月」というのですが、この観月という風習はつい最近始まった風習ではありません。「観月」と言いますと、京都では宇治の辺りに「観月橋」が御座います。
これは、豊臣秀吉の時代に、宇治にある曹洞宗寺院「月橋院」で月見をしたという事に、名前の由来があります。
宇治川の辺りは、川という地形のために観月しやすかったのでしょう。
そして、「中秋の名月」の日に観月するというのも、京都のお寺が関係しておるのです。
京都の大覚寺という真言宗のお寺さんがあるのですが、平安時代にそのお寺にある大沢池にて、天皇・皇族や貴族たちが、池に船を浮かべて宴を開いたというのが、中秋の名月観月の由来です。
催し自体は現在も行われておりまして、2016年は9月15日(木)の中秋の名月から9月17日(土)まで開催されます。
催しは「観月の夕べ」と題しまして、満月法会があったり、龍頭鷁首舟に乗る事が出来る催しが御座いますよ。
毎年多くの人が訪れるらしく、茶席も用意して下さっています。
京都で中秋の名月を雅に眺めるのも、乙なものでありましょう。

中秋の名月の後に楽しむ十三夜の月(後の月・栗名月)の由来
中秋の名月は、旧歴の8月15日、十五夜のお月さんとして観月するのは有名ですが、日本では旧歴9月13日に「十三夜の月」を楽しむ風習も御座います。旧歴9月13日の「十三夜の月」は、「後の月・栗名月」と言われており、古来より両方観る事が風習として御座いました。
片方だけ観る事を「片見月」と申しまして忌み嫌われており、両方観る事を縁起が良い、とされています。
「縁起」の話を致しますと、仏教者である私としては、「縁起云々四の五の言わずに、ただ観月すべし」と思うところがあるのですがね。
月に吉凶や大いなる力を感じるのは、神道や自然信仰などの精神性によるものなのでしょう。
観月自体は中国にあり、それが伝わったとされていますが、「十三夜の月(後の月・栗名月)」の観月風習は、日本だけの独自風習です。
この「十三夜の月(後の月・栗名月)」を愛でる風習の由来については、幾つが御座います。
一つは、平安時代に時の法皇が、旧歴9月13日の十三夜の月を見て、「無双」と賞して愛でるようになった事にある、という説です。
もう一つは、その法皇の息子、醍醐天皇の時代に、この時期の月を愛でる観月の宴が催され、それが風習となり今日まで伝わった、という説です。
どちらの説が本当か、また別の説があるのかまでは存じませんが、少なくとも「中秋の名月」と「十三夜の月(後の月・栗名月)」が現代にまで伝わっているのは事実です。
由来、始まりのご縁が結ばれたことに、有り難さの感謝を申し上げる次第であります。
「中秋の名月」と仲秋の意味
中秋の名月というと、「中秋」と「仲秋」という言葉があることに、辿り着く人もいらっしゃるやもしれません。「中秋の名月」と言えば、まさに今まで話してきた、旧歴8月15日に観月する月の事です。
漢字変換すると「仲秋の名月」という変換もATOKでは出てくるのですが、「名月」とつけられるのは「中秋」の方です。
では「中秋」と「仲秋」は、どう違うかご存じでしょうか。
実は是、きちんと意味があるのです。
「仲秋」という、人偏の漢字の方は、旧歴の8月を表す言葉でして、8月全体のことです。
現在は感じにくいと思われますが、旧歴の秋は7月・8月・9月でした。
現代の季節感でしたら、まさに夏真っ盛りの季節ですね。
そして、それぞれの月にも秋の呼び名があり、「7月=初秋」「8月=仲秋」「9月=晩秋」です。
ここで、「仲秋の名月」でも、意味は伝わりますし、間違いではないと気がつかれるかも知れません。
では、何故「中秋の名月」なのか。
それは、「中秋の名月」の日にちがポイントです。
中秋の名月は旧歴の8月15日ですね、つまり、3ヶ月間のど真ん中です。
秋の満月が、まさに旧歴の秋の丁度ど真ん中にあるということで「中秋の名月」というわけです。
これが「中秋」と「仲秋」の意味と違いです。
折角ですから、ここで季節の豆知識を一つ。
現在の8月は、暑中見舞いや残暑見舞いを出す季節とされています。
その時の文言は「暑中お見舞い申し上げます」「残暑お見舞い申し上げます」ですね。
8月は仲秋とは言いますが、現代ではこの「仲秋」を使える時期では御座いません。
新暦、現代の暦における「仲秋」の使い所となる時季は、10月です。
10月に手紙を出す際、「仲秋の候」と書いておくと、趣を感じ取れる人には感じ取って頂けるやもしれません。

中秋の名月と仏教関連の由来や意味の話
中秋の名月について、由来や意味をお伝えしてきましたが、最後に仏教に関連する言葉についても、お伝えしておきましょう。中秋の名月は、別名を何と呼ぶかご存じでしょうか?
芋の季節ですから「芋名月」というのは有名ですし、その事が中秋の名月にお供えする物にも反映されていますね。
中秋の名月のしつらえとして、芋名月よろしく里芋などの芋類をお供えする風習が、現在にも伝わっております。
そして、実はその他にも呼び名がありまして「仏滅名月」とも呼ぶのです。
これは、旧歴8月15日が六曜の仏滅になることに由来します。
「じゃあ、中秋の名月は縁起が悪いのか」と思われるかも知れませんね。
そもそも、縁起は仏教においては善し悪しを言うものではありませんし、「仏滅」も縁起が悪いとか忌み嫌う言葉や概念では御座いません。
「滅」という言葉が入っているから、語感として嫌な感じがするのはわからんでもありませんがね。
現在は、なんとなく「仏さんが入滅された日」という、他界を連想するイメージがくっついていますけれども、暦における仏滅と、釈尊・ブッダ、つまり仏さんの入滅とは関係御座いません。
私は、この「仏滅」という言葉と概念も、結構さすらった仏教語・仏教用語に思えます。
仏教における「仏滅」は「仏の涅槃」、つまり入滅・滅度という意味です。
特に釈尊・ゴーダマブッダの涅槃を意味していると説明される事が多いようですね。
「滅度」とは、悟りの世界に渡る、彼岸へ到るという「到彼岸」という意味の言葉です。
つまり涅槃・滅度とは、輪廻を離れる事であり、本来は忌み嫌う言葉・概念ではなく、平安の境地へ赴くという意味があるのです。
「仏が滅する=凶の日」という意味に捉えられがちですが、平安の境地へ赴くわけですから、全くもって逆の話です。
ここで一つ豆知識をば。
「滅度」についてですが、家が真宗・浄土真宗である人や、真宗門徒の方でしたら、毎日の勤行や法事で、正信念仏偈を読む事があったり、聞くことがあると思います。
その正信念仏偈の中には、
:成等覚証大涅槃、必至滅度願成就
という文言が御座います。
「必死滅度」と、滅度の言葉が出て来ましたが、これは「必ず滅度(彼岸・悟りの世界)に往くという願が成就する」という意味です。
これは、「仏説無量寿経」をご存じの人なら、阿弥陀如来の第十一の願を仰っている事だとピンとこられたことでしょう。
浄土仏教の言葉で言えば「必ず浄土に往生させる」という事ですね、なんとも有り難い御言葉です。
このように「仏滅」とは、涅槃に入る、入滅して御浄土に往生するという意味であり、平安の地へ往くということですから、全くもって忌み嫌う意味では御座いません。
恐らく「滅」の字によって、あれよあれよと真逆とも思えるマイナスの意味にさすらったのでしょう。
そういえば、中秋の名月・芋名月や十三夜の月・栗名月のような「二夜の月」をぼんやり眺めていると、何となくリラックス出来て、心の平安・平穏を感じる事が御座います。
そのように感じているその心境こそが、実はすでに安寧の地に立たせて頂いて居る、という事だという味わい方も出来ますね。
中秋の名月が「仏滅名月」というのは、仏教的な意味においても、なんだかぴったりな気が致します。
尚、今回の話を味わって頂くため、中秋の名月はいつかも知って頂いておく方が良いでしょう。
参照:「中秋の名月はいつの日か|2016年版」
これを機会に、中秋の名月・芋名月と十三夜の名月・栗名月を、味わって頂ければ嬉しゅう御座います。
合掌