有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。
あなたは、今までの日暮らしの中で、目標設定をされた事はあるでしょうか?
目標設定というと、私も学生時代には、学年が上がるたびに「1年の努力目標」なり、学校側から書かされたことが御座います。
仕事の上でしたら、営業目標設定など、お金に関する努力目標設定などもありそうなものです。
スポーツの世界では、目標タイムなどを設定して、そのために邁進するという事が為されます。
一つの指標を設定することで、目指す場所が見えるわけですから、それはそれで確かに効果効能はあるでしょう。
しかし、特に最近は自己啓発の世界や、似非コンサルタントによる強制的な目標設定による弊害、危険性や罠も感じる事が御座います。
現代社会は目標設定をする事が当たり前になっている風潮がある
私も学生時代から、「目標設定は大切に」「将来の目標を」なんて事を言われて育ってきました。今の私は「目標設定をすることが当たり前」という概念から脱してはおりますが、自己啓発に毒されていた時期は、特に酷かったものです。
現在のビジネス関連の目標設定と言いますと、金額や作業量などが、設定すべき目標としてあげられます。
やれ「今月の目標金額は」とか「今月の記事投稿数の目標設定は」など、そのような感じです。
詐欺師・我利我利亡者の自称コンサルタントの中にも、やたらお客様に対して、そのような「コンサルする側の自己都合的な目標設定の押しつけ」をしていた事例もあったものです。
そして、設定した目標を達成出来ていないと、抽象的な概念であれやこれやと難癖を付けるという始末。
あれやこれやで、現代社会は子供の頃から「将来の目標設定」など、目標設定することが当たり前という風潮であるように感じられます。
そして、それが正しいような風潮もあり、詳細な目標設定まで出来る「目標設定シート」も作られておる時代です。
このような昨今の社会において、一度「目標設定」という一人歩きしていそうな概念を、改めて考え直す必要があるのではないか、私はそのように頂くようになったものです。
私も、「目標を紙に書いて目標設定をする、毎日紙に書く」なども、実践してきました。
今は離れておりますが、そのような経験があるからこそ、その危険性や罠も、感じ取るに到りました。
あくまで私の体験ベースであり、全ての人に共通する事ではありませんが、目標設定の危険性や罠について、3つにしぼってお伝え致します。

目標設定の危険性や罠1:設定した目標に縛られて、精神を蝕む危険性もある
目標設定にある危険性や罠の一つ目は、:設定した目標に縛られてしまう
という事です。
最近は、「目標設定は、より具体的に」という事が推奨されておりますから、実践している人も多いのでは無いかとお見受け致します。
その一例として、私も体験した事でありますが、似非コンサルタントなり詐欺師が、お客様に設定させる目標に「今月の投稿記事数と目標金額」というのもあります。
あのての詐欺師や似非コンサルタント、自己啓発講師などは、そもそもとして「その人は目標設定した方が良いのか、功徳があるかどうか」を、きちんと見られていないケースが殆どであります。
目標設定をしない方が、すいすいと突き進める人もいるのに、それが全く見えておらず、「自分もこうやって成功したから」という邪見でしか見られておりません。
あのような我利我利亡者や有財餓鬼・多財餓鬼の類いは視野が極端に狭く、自分の懐事情しか興味が無く人を見ようともしませんから、致し方ない愚かさなのではあるのですがね。
それはさておき。
いざ目標設定をすると、その設定した目標に縛られるという現象が御座います。
例えば、仕事などで「今月の売り上げ目標」とか、より具体的に数値化した目標を設定したとしましょう。
この場合、「今月の売り上げ目標」に、縛られると言う事です。
そして、売り上げ目標に到達していないと、生真面目な人でしたら「目標達成できない自分は駄目な奴だ。」と、自己嫌悪に陥ったり、精神を蝕まれる危険性があるのです。
私の場合は、作業量・仕事量の目標は達成出来たのですが、売り上げ目標を達成出来ず、それで自分の精神を苦しめ続けた、という経験をしたものです。
今や日常語としても使われる四字熟語に、「自縄自縛(じじゅうじばく)」という言葉が御座います。
これは、禅語としても紹介されることがあり、仏教的な示唆に富んでいる言葉でもあります。
目標という自分が用意した縄で、自ら(みずから)を縛り付けて締め上げて苦しめる、という意味であり、言うなれば自虐的行為です。
生真面目な人は、自身に対して自己責任論で自分を苦しめる傾向もありまして、余計に苦しいことでありましょう。
このように、目標設定をすることによって、「自縄自縛」の苦しみが発生するという危険性や罠がある事を、覚えておくことは、自衛に繋がります。
目標設定の危険性や罠2:目標達成のために人徳を捨てる怖さも
目標設定による危険性や罠の二つ目は、:目標設定のために周囲を省みず、強引になって人徳を捨てる事に繋がる
です。
この現象を、現在において最も顕著に目視出来るケースが、いわゆる「トレンドブログ」と言われるブログなりウェブサイトです。
少し見ただけでも、「記事タイトル詐欺」や「他人の不幸を喜んで文章化している」という現象が見られます。
やれ「芸能界の不祥事」だの、色々な事件や事故を、薄っぺらい言葉でつらつらとダラダラ文字数だけ増やして、そんな投稿ばかりしている類いのものです。
背景には、欲しい金額を基軸・ベースにした目標設定もあるのでありましょう。
そのために、アクセス数の目標も設定されていることとお見受け致します。
しかし、そのお金だけしか見えていない目標設定のために、人様の不幸を金に換えるという事は、人徳の観点から言って、果たしてどうなのか、考えて観るべきではないかと思うのです。
この話について、戒めてくれる話が、川村妙慶さんの本「ほっとする親鸞聖人のことば」に、記されております。
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少しだけ紹介致しますと、ある記者が「俺は、誰よりも速く事故や事件のネタを書いて、実績を上げてきた。」と、父親に自慢します。
その事を聞いた父親が「邪見驕慢悪衆生」という、正信念仏偈にある言葉を用いて、記者を戒めるという話であります。
目標設定によって、その目標達成のために強引になり、時には周囲を省みず「我利我利亡者」になってしまう危険性を、誰しもが持っているものです。
目標設定をして、目標達成しか見えなくなり、人徳を捨てて「邪見驕慢」まっしぐらになっていないか、その事を省みるべきでありましょう。
目標設定の危険性や罠3:目標達成したら傲慢になる可能性がある
目標設定による危険性や罠の三つ目は、:目標達成したときに、傲慢になる可能性がある
ということです。
これは、引き寄せの法則などに見られる、人が傲慢になってしまう、慢の煩悩に毒されてしまう怖さです。
例えば、何らかの目標を設定したとして、その目標が達成したと思えるような状況に到達したと致しましょう。
では、その目標達成は、どのような要素が絡んでいるのでしょうか。
もちろん、目標設定をしたと言うことも、一つの要素ではあるでしょう。
その目標に邁進した、その人の努力も一つの要因ではあります。
しかし、物事が成される、成就したり到達すると言う事は、それだけの要素では片付けられません。
様々なご縁の巡り合わせや絡み合い、人間には知覚できないことさえも、ご縁となって目標達成に繋がったという頂き方をする在り方が、仏教的な智慧であります。
しかし、目標設定をして、なまじそれが上手いこと言って目標達成された場合、人は「自分の力によるものだ。」「目標設定したからだ。」と、短絡的に考えてしまう事があります。
そして、その経験に縛られてしまい「目標設定すると成功する」「目標設定しないから成功しないんだ、目標設定しないやつは馬鹿だ」などと言って、傲慢になってしまう危険性があるのです。
典型的な例が、引き寄せの法則や「俺はこうやって成功した、だからお前も言う通りにやれ。」という、傲慢な我利我利亡者の類いです。
これは、曇鸞大師の「浄土論註」にある「自大語(じだいご)」の我であります。
自分の経験だけでしか者を語れず、自分は悟ったと自慢する哀れな姿です。
目標設定して、目標達成すると、このような慢の煩悩に毒されて、傲慢になってしまう危険な罠がある事を、自覚しておくことは大切であろうと、私は頂いております。

目標設定は無理にする必要はない
現代社会では、自己啓発系の流行も手伝ってか、やたら「目標設定」が推奨される傾向を感じます。目標設定そのものは否定致しませんが、あまりにも目標設定が良い事のように言われている昨今の風潮は、「目標設定教」という宗教じみた怖ささえ、ありそうな気が致します。
これを盲信し、目標設定をして、色々なご縁の働きによって目標達成が成されても、また次の目標を設定して・・・と、延々とそれを追いかけるケースさえ御座います。
人間には、「わかりたい」とか「迷いたくない」という欲求があるのは致し方ありません。
そのために地図もあるわけですし、指標があったり目標があると、その不安が和らぐことも確かです。
しかし、目標設定ばかりに囚われていて、「現在地」が見えていないという事も、往々にしてあるのではないかと、私には思えるのです。
目標設定をする事そのものは、私も否定致しません。
ただ、その時は、仏教が大切に説く「自分の現在地」をまずはしっかりと照らし、その上で、目標設定に縛られない生き方の模索が、大切ではないかと頂いております。
そして何より、「目標設定は大切だ」と、人に強要するような傲慢な亡者にはならないという戒めを大切にする事です。
願わくば、あなたが目標設定の毒にあてられないよう、切に願います。
尚、目標設定の意味や、人が目標設定をする理由などの基本的な事柄は、こちらに記して御座います。
参照:「目標設定の意味と、する理由」
参照2:「目標達成しても傲慢にならないために」
合わせて学んで頂く事で、目標設定が有する危険性や罠にはまらぬ智慧として頂けるかと思うております。
合掌