有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。
京都の7月と言えば祇園祭の季節という事で、このお堂(ブログ)でも、祇園祭についてお伝え致しました。
京都の祇園祭と言えば、2014年からは前祭と後祭の山鉾巡行がメインイベントという認識であるという人が多いのではないでしょうか。
若い人達にとっては、屋台が建ち並びデートにもってこいという、宵々山と宵山がメインだという印象がありますがね。
こういった屋外の祭りは、気になるのが天候です。
天気を気にするのは、人間側の都合というのが禅や仏教の教えであり「日々是好日(にちにちこれこうにち、にちにちこれこうじつ)」の禅語を学ぶ良い機会だというのが、私の立ち位置であります。
しかし、そうはいってもやはり気になるのが人の性(さが)というものです。
祇園祭は雨天で中止になるのか、それとも決行するのか、過去の事例を交えて地元の仏教徒がお伝え致します。
祇園祭は山鉾巡行も基本的に雨天決行で中止しない
結論から申し上げますと、祇園祭の山鉾巡行は:雨天決行
です。
雨天ですと、ベルギーのタペストリーなど、山鉾を飾る装飾品も重要な文化財でありますが、それでも雨天中止にはせず、決行します。
2015年の7月17日に至っては、台風だったのに強行決行しましたからね。
京都市観光協会のウェブサイトでも、雨天で中止になるかどうかの質問に対して「雨天決行です」と、力強く書いてありました。
後ほどお伝え致しますが、私はこの「雨でも中止せずに強行決行する」というところに、京都の伝統を守る先人から受け継がれた粋(いき)を感じるものであります。

京都の祇園祭における雨天で中止の歴史
京都の祇園祭は、過去に注視した事が一度も無いかというと、そうではありません。過去に京都の祇園祭が中止になった前例は3回で、山鉾巡行だけの中止が2回と、祇園祭りそのものが中止になったのが1回です。
祇園祭りそのものが中止になった事例は、歴史の教科書であなたも習ったありましょう「応仁の乱」が原因です。
応仁の乱で祇園祭が初めて中止になって、復活したのが33年後です。
この辺りのカウントをどう取るかがで分かれますね、年数を1回とするか、中止から復活するまでの期間も含めて1回とするか。
祇園祭そのものが中止になったのは、過去にこの1回(1期間)だけですが、山鉾巡行が中止になったのは、太平洋戦争時代の1回と、1960年代の1回の合計2回だけです。
1962年の阪急電鉄地下工事の影響で、山鉾巡行が中止になったというのが、なんとも現代的な理由ですね。
しかし、それ以外は2015年の台風と雨天でも山鉾巡行を中止せずに決行するとは、なんだか意地を感じるところであります。
京都の祇園祭以外にも雨天で中止になりそうな祭りや行事も強行決行する
京都の祇園祭は、流石に危険過ぎる状況であれば、山鉾巡行の中止はあり得るでしょう。しかし、京都市観光協会がアナウンスしている通り、雨天では中止にならず決行する事がすでにアナウンスされています。
台風でも出来ることを証明したのですから、恐らく2015年の台風くらいの規模であれば、2016年も今後も中止にせずに山鉾を巡行してくれそうですね。
そして、京都は祇園祭以外でも、モロに天候、雨天の影響を受けるであろう祭りや行事も、中止せずに強行決行します。
その代表的な行事が「五山送り火・大文字」と「鞍馬の火祭」です。
どちらも灯を使いますから、どうあっても雨は多大な影響を及ぼすはずなのですが、意地でもかってくらいに、中止にしません。
五山送り火に至っては、2014年8月16日は凄まじいくらいの豪雨の後でしたが、決行しましたからね。
もっとも、灯を灯す直前に豪雨が去ってくれたから出来たというのがありましたが。
五山送り火は、一度だけ1日順延した歴史がありますけれども、それでも順延です。
考えて観れば、京都は葵祭にしても時代祭にしても、雨天の場合は順延はしても中止はしません。
その年にやるべき行事は、きちんとその行事にやりきるという責任感なり意地を感じます。
何とかして、伝統を守り、伝統を次の世代へきちんと見せて受け継ぎたい、そのような「粋」な姿を、私はそのあたりに見出しております。
祇園祭の山鉾巡行にしても、五山送り火やその他の行事にしても、雨天の中やる方は大変でしょうけれども、その大変さを上回る意地なり粋な精神性、宗教心なり宗教性を感じるところが御座います。

京都の祇園祭や他の祭りから、歴史や宗教心を改めて考える機会とする
京都の祇園祭は、山鉾巡行がメインイベント的な位置にありますが、昔は「山」と「鉾」は別個のものでした。山鉾の意味を知っている人も若い人に受け継がれているかどうか、改めて考えて観たいところです。
現在は、ベルギーのタペストリーや需要文化財で着飾る今の形で受け継がれていますが、元々はもっと簡素なものだったという歴史が御座います。
「鬼灯の冷徹」の地獄太夫にお香さんが「小林幸子さんの衣装が毎年派手になっていくような楽しみを感じる」として、毎回地獄太夫の衣装を派手にしていく心理と似ているのかもしれません。
勝手な妄想ですがね。
それはさておき、この山鉾には悪霊を移し宿らせる役割があり、巡行が終わるとさっさと解体してしまいます。
疫病や飢饉、天災などを神や悪霊の所業と考えられてきた歴史を感じる風習であり、伝統行事ですね。
そして私は、このような宗教心や宗教性の歴史を知って、後世に祭りをきちんと催すという形で伝わって欲しい、そのような思いも御座います。
私は仏教徒であり、仏教では占いや迷信は戒める教えがありますが、このような宗教性は大切にしたいという考えも一方で持っております。
現在は科学技術の発達により、自分都合で自然をも何とか出来ると、無意識に考えてしまう事もあり得る時代です。
人の力が及ばない自然現象から、ちょっとした日常で自分都合にならない事があった場合、直ぐに腹を立てたりするのは、その現れでしょう。
確かに、現代社会では疫病などに対して、早急に適切な対策を取る事が出来て、それは凄く尊いことではあります。
でも、科学技術偏重になりすぎて「この世は穢土、自分都合でならない現世である」その事を今一度考える機会が現代社会では特に大切では無かろうか、私はそのように思うております。
その考えるきっかけや機縁が「祇園祭」であったり「五山送り火」などの行事・仏事や神道の神事が担っている部分もあると、考えておるのです。
自然界の出来事について、人間の力では及ばない事を自覚し、謙虚さを持つという事が、これらの風習や伝統行事が考え感じさせてくれる、そのような見方も出来るのです。
「山鉾に悪霊が憑くとか、この時代にそぐわない」と思われるかもしれませんが、一方的に馬鹿にせずに、一度立ち止まって考えて観ては如何でしょう。
そうする事で、己の仏性なり宗教心・宗教性を自覚できる良き機会になれるかもしれませんよ。

雨でも山鉾巡行をする京都の祇園祭に観る伝統を伝える大切さ
京都の祇園祭もそうですが、京都は連綿と受け継がれている伝統を、とにかく伝えようとする意地も観られると、私は感じております。これを私は「意地」とも頂きつつ「粋」とも頂いておるところであります。
そして、「雨でも山鉾巡行は中止せず、強行決行する」ということまでやってのけて下さる実行者の方々に、本当に心から敬意と感謝を申し上げたいものです。
きちんと形にして、決行するという形で伝えていく事は、もの凄く大切なことです。
私がそう思う理由の一つに、
:伝統や文化は廃れたらもう元に戻らない
という事が往々にしてあるからです。
このことは「この世を仏教で生きる」という、釈徹宗さんと大平光代さんの対談本を読ませて頂き、改めて感じました。
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廃れてしまった文化について、何十年か後「しまった、残しておけば良かった。」と後悔しても、それこそ後の祭りです。
山鉾巡行も、後祭がしばらくの間姿を消していましたが、2014年から復活して、大船鉾も復活したのは本当に有り難き事であります。
これも、祇園祭という文化が京都で連綿と生き続け、受け継がれ続けたからこそ、復活も叶ったと思うところが御座います。
山鉾巡行が、雨天でも中止せずに何とか決行しようとしたり、鞍馬の火祭なども雨でも中止せずに強行決行する辺り、言葉にせずともこのような思いを持っている人が少なからずいるからかも知れません。
まさに「伝統の火を消さない」を、体現してくれているわけです。
京都の祇園祭で、山鉾巡行が雨天でも中止せずに決行する姿から、このような事に思いをはせるのは、私の考えすぎでしょうかね。
尚、祇園祭りについての基本的な情報は、こちらでお話しさせて頂いております。
参照1:「祇園祭の由来と歴史、そして仏教の話」
参照2:「祇園祭の宵山の日程と地元民が語る注意点」
合わせてお読み頂き、祇園祭をより風流に楽しんで頂けましたら、大変嬉しゅう御座います。
合掌