祇園祭の由来と歴史、そして仏教の話

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

あなたは、7月と言えば何を連想されるでしょうか?
192370 全国的には七夕祭りを連想しやすいところでしょうし、地域によっては各々の夏祭りを連想するという人も多いでしょう。

私が住まわせて頂いている京都は、7月と言えば1ヶ月間「祇園祭」が催されているという印象です。



私も祇園祭には何度か行ったことがありますが、今では人の多さを知っておりますがゆえに、あまり近づこうとは思わなくなっていた時期があったものです。

ただ、去年に栗山千明さんが祇園祭を中継されていたのを観て、また山鉾や御神輿を観に行こうかな、なんて事を思い始めている今日この頃で御座います。

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地元民が語る京都祇園祭の名前の由来

「祇園」と言えば、中学生の頃に「祇園精舎の鐘の声」と、平家物語を古文・国語の授業で初めて知った言葉という人も多いのではないでしょうか。

京都に住んでいたら、舞妓さんがおこぼでカランコロンと歩く姿を見ることが出来るあの地域を連想する人は私だけではないだろうとお見受け致します。



ちなみに私、中学時代の平家物語の冒頭は「諸行無常」という仏教のみ教えに何かを感じ、仏教とご縁賜る素地が備わっていた事を思い出します。



祇園祭の由来、「祇園」という名前の由来は、お釈迦様・ゴーダマブッダの時代まで遡ります。

インドにあるコーサラ国という国の富豪であったスダッタという人が、お釈迦様に説法を説いて頂く場所を作られたのですが、それが「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)」です。

正式名称は「祇樹給孤独園精舎(ぎじゅぎっこどくおんしょうじゃ)」と、舌を噛みそうな名前です。



ちなみに、在家でお釈迦様や僧侶の生活を支えた商人に「維摩居士」という方がいらっしゃいます。

その辺りの人物を味わうのも、一つの仏教の味わい方で頂き方だと私は勝手に思うております。



そして、その祇園精舎の守護神が「牛頭天王(ごずてんのう)」という神であり、そのつながりから現在7月の間に催される京都の祭り「祇園祭」へと繋がります。

仏教は神を祀る宗教ではありませんが、この辺りに日本の土着宗教と仏教の繋がり、神仏習合時代の名残を感じるものであります。



神仏習合の時代には、祇園祭は「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」と呼ばれておりました。

そして、明治時代に廃仏毀釈や神仏分離令の影響で、現在の「祇園祭」という呼び方に変遷していきます。



私個別としては「祇園御霊会」の方が、なんとなく夏の仏事を連想出来て、味を感じるのですがね。

「盂蘭盆会」「祇園御霊会」という呼び名の方が、何となく祖霊を敬い感謝申し上げる言葉と感じる、私の言語感で御座います。
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祇園祭の由来と歴史をわかりやすく要点だけをまとめておきます

祇園祭の歴史は、現在は有り難い事にWikipediaなどのインターネット上の情報や本も出ていますし、京都関連の運営サイトが解説してくれています。

トレンドなんちゃらブログを運営している人も、それらの情報をまとめた二次情報、三次情報を伝えてくれています。

私からは、仏教の話と絡めてお伝えします。

ここでは、さらりとまとめておくにとどめますから、今回の話から深掘りしたい人は、それらを散策してみて頂ければ嬉しゅう御座います。



祇園祭の歴史は、863年に東寺真言宗の寺院「神泉苑」で御霊会を行い、その6年後の869年に行われた鉾を使った御霊会が、祇園祭の由来・起源とされています。

真言宗寺院が始まりというのが、神仏習合の歴史を感じます。

その後、応仁の乱や世界的な戦によって中断・中止されていた時期はありますが、1947年の昭和時代から現在に至るまで、中止したのは1回だけで現在まで受け継がれています。



現在は、2014年に大船鉾と後祭も復活し、その歴史をヨドバシカメラの1階「京都市無形文化遺産展示室」で観る事が出来ます。



ヨドバシカメラ東口、パン屋やサーティワンアイスクリーム店が建ち並ぶエリアを北に向かっていくと、京都市無形文化遺産展示室に辿り着きます。

私も、京都駅から烏丸通りを北上して東本願寺に赴く際に、横目でちらっと観たりしております。



そういえば、以前はおっちゃんが「観てって下さいね-。」と呼び込んでいましたが、最近はあまり見かけなくなりました。

私が前を通るタイミングが、丁度おっちゃんが建物の中に引っ込んでいるタイミングだからかも知れませんがね。
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祇園祭で祇園観光にきたならば、地元民による楽しみ方伝授

祇園祭の由来や歴史を学んで、いざ実際に祇園祭に行こうと思われた方に、地元民がお伝えさせて頂く楽しみ方を幾つかお伝え致します。

あくまで私の主観でしかありませんがね。



祇園祭に参加されるなら「浴衣や着物など、和服を着用する」というのは如何でしょうか?

京都の夏を着物で過ごす、というのは、とても風流なものだと感じます。

私は、こういったお祭りには、作務衣を着て行くようにしております。

浴衣も良いのですが、私は作務衣が大好きでありましてね。

浴衣や着物、作務衣などの巻き付けるタイプの衣服は、着崩さないように注意して、歩幅も狭めて歩くと、雅な感じも致します。

着崩さない歩き方や所作を参考にするならば、舞妓さんの歩き方や、法衣・袈裟を着用されているお坊さんの歩き方は、着崩さない歩き方であり、大変参考になります。



上の話に関連して、時間があれば「舞妓さん体験」も乙なものかと存じます。

これは「はんなりギロリの頼子さん」で仕入れた話ですが、舞妓さん体験の観光客と、本当に舞妓さんとして活動されている人を見分けるというのもやってみられるとよいでしょう。

見分けるポイントは、「おこぼ」と呼ばれる履き物の高さと、着物の長さです。

ただし、あまり舞妓さんにつきまとったり、舞妓さんの仕事の邪魔はなされぬようにご注意をば。



それと、祇園祭と言えば、良い宵山と宵山の屋台、そして前祭と後祭それぞれの山鉾巡行がメインと思われている人も多いかと存じ上げます。

確かにそれはそうなのですが、前祭山鉾巡行の日の夕刻に行われる「神輿渡御」も、迫力がありますよ。

7月17日の18時、午後6時から始まるのですけれども、男性陣が八坂神社から神輿を担いで出発し、京都の道を練り歩く催しです。



私は、ウェブマックスというIT企業の社長さんが「神輿が大好きでよく担ぐし、祇園祭でも担いでいるから、観においで。」と誘って頂いたご縁で、神輿渡御を知りました。

私は運良く間近で観る場所を頂きましたが、間近でガッシャンガッシャンと音を立てて上下する神輿は迫力があるものでした。



祇園祭は、良い宵山と宵山の屋台、そして前祭と後祭の山鉾巡行以外にも、沢山の魅力があり、歴史や由来を味わう事が出来ます。

7月中の京都で、混雑する宵山と前祭後祭以外のわりかし静かな時期は、地元民が案内させて頂ける静かな魅力であったり致します。d0bd73233cdff090e797ba93dae8d294_s

祇園祭の由来や歴史と仏教の豆知識で締めくくります

最後に、祇園祭の由来や歴史と仏教に関連する豆知識をお伝え致します。



私も臨済宗の禅僧である玄侑宗久さんの本を読んで知ったのですが、京都には「祇園寺」というお寺さんがありました。

祇園寺の由来は、あの祇園精舎が元になっていたそうです。

そして、祇園寺の境内を鎮護した神社が、祇園祭の主役的な神社となっている八坂神社です。



ちなみに、八坂神社を始め、祇園信仰の神社のことを「祇園さん」と呼んでおります。

京都では建物や企業、食べ物に対しても「おいもさん」「~社さん(例えば「オムロンさん」等)」と呼ぶ風習があり、ビジネスマナー講座では注意されそうな風習ですね。



そして玄侑宗久さんの本によれば、「祇園精舎の鐘の声」に、その祇園寺の名残がある、ということです。

祇園寺がまだあった時代には、祇園寺にある鐘の声が、あの一体に聞こえていたのでしょう。

明治時代の神仏分離令によって「祇園御霊会」の名称も「祇園祭」となり、祇園寺も八坂神社に統合されました。



「もしも」を語るのは仏教と離れた煩悩による思いではありますが、神仏分離令がなければ、祇園寺は今も残っていたやもしれないと、思いをはせる今日この頃です。



合掌

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