幽霊を見る方法を仏教視点から学ぶ

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

前回は、「幽霊はいる?いない?」という論争なり問いについて、仏教者である私の視点でお伝え致しました。
237073 なんだか身も蓋もない話だと感じた人もいらっしゃるやもしれませんが、現実に即した学びも味わって頂けたのではないかと、思いたいところであります。



オカルト好きだった少年時代がある私は、霊感があって幽霊がみえる人に、憧れた時期もありました。

今では、そのような事は思わなくなりましたが、妖怪変化や怪異の類いは、仏教的な学びもある事から、今でも好きな世界観です。

水木しげるさんが描かれた「二河白道(にがびゃくどう)」の絵は、是非とも実物を見に行きたいと考えておる程に、妖怪の類いは今でも好きではあります。

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現代社会において幽霊を見る方法は意外と簡単であるという前提の話

今も昔もそうだとは思うておりますが、現代社会においても、幽霊を見る方法は簡単であると、私は考えております。

実際に、私も毎日幽霊を見ているわけですからね。



ただし、正しくは現代における記号的な幽霊、足が無くて浮遊している人型の幽霊を見ているわけではありません。

「幽霊を見る方法」の前提として、私は幽霊そのものではなく、正確には「幽霊性」を見ている、という話です。

このことについては、前回にも触れた事柄です。



前回、幽霊とは我々一人一人が抱える煩悩や在り方を表した概念であり、それを私は「幽霊性」と表現致しました。

この事を前提とすれば、現代社会における「幽霊を見る方法」も、勘の良い人ならば自ずとみえてくるでしょう。



今回は、幽霊を見る方法というのは、「己の幽霊性を見る方法・幽霊性を見出す方法」という捉え方をして頂ければ、学んで頂ける事も多いであろうと感じておる次第であります。

現実に即した話故に、ホラー的エンターテイメントからは離れてしまいますが、これも一つの幽霊を見る方法であります。

幽霊に対する考え方と言う事でご勘弁頂ければ、嬉しゅう御座います。
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幽霊を見る方法その1:鏡を見る

幽霊を見る方法の一つ目は、
:鏡を見る
です。



是は別に、丑三つ時に鏡をのぞき込んだら、後ろに背後霊がいた、とか、そのような話ではありません。

もしも背後霊がみえたのであれば、恐怖心に脳が支配されていたり、怖い物見たさが脳の機能に勝っていたり、それはあなたがそのように見たがっていたのか、そのための錯覚である可能性があります。



これは、「幽霊とは煩悩にまみれた衆生・凡夫」という、前回も話した事柄を当てはめれば、自ずとみえるでしょう。

そうです、幽霊とは、鏡に映る自分自身です。



毎日を忙しく過ごしすぎていていると、幽霊性が表面化してしまうものです。

「今日も会議面倒だな。」「昼飯は何にしようか?」「今日も終電まで残業だ・・・。」「明日の会議が気になって眠れない。」等々、これは未来に囚われている状態です。

また、一日が終わろうとしているときにも「あの上司、今日もむかついた!」「今朝はさんざんだったなあ。」と、過ぎ去ったことを思い煩うのは、過去に囚われている状態です。



このように、今というこの場この時に足を付けていない状態、そこに幽霊性をここに見いだせるのです。



さて、ここで「幽霊を見る方法は、鏡を見ること、以上」では、つまらないでしょうから、ここから学び実践出来る事を一つ紹介させて頂きます。



毎朝、鏡を見て今を生きる戒めを実践されてきた人物を、あなたはご存じでしょうか?

今は亡きスティーブ・ジョブズさんの本を読んだ人や名言集を読んだ人ならば、「あ、ジョブズさんの事か。」と、ピンときたかもしれませんね。



スティーブ・ジョブズさんは、禅にも傾倒していた人であり、今を生きる事を大切にしていたという紹介のされ方もします。

そして、地に足を付けて生きるために、朝起きてから鏡を見て、このような問いを立て続けていたと紹介されております。


「もし、今日が自分の最後の日だとすれば、今日しようと思っていることが、本当にしたいことだろうか?」

スティーブ・ジョブズさんは、毎朝鏡を見て自己に問いを成されていたのは、有名な話だと思いますが、ご存じでしたでしょうか。



これは、禅語「主人公(しゅじんこう)」にも共通するエトス(行為様式・習慣)です。



禅僧である瑞巌和尚が、自分自身に向かって毎日「主人公よ。」「はい。」「目は覚めているか。」「はい。」「騙されるなよ。」「はい。」と、呼びかけていらっしゃっいました。

これが、「主人公」という禅語の話で御座います。

スティーブ・ジョブズさんが、鏡に向かわれていたというエピソードと、共通する部分がみえてくるかと存じます。



今回の話に照らし合わせるならば、
「主人公よ、幽霊になるなよ、今という時に、地に足を付けて、犀(さい)の角のように独り歩め。」
と、問いかけて、幽霊性が表面化することを気をつけ戒める、ということです。

「犀の角のように独り歩め」は、仏教の原始経典「スッタニパータ:蛇の章」にある言葉です。



鏡を見て、「己の幽霊性」から目をそらさずにきちんと見据えて生きる、幽霊を見る方法は、己を顧みる方法でもあると私は味わい頂いておりますが、如何でしょうか。

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幽霊を見る方法その2:周囲を見渡し、反面教師にする

幽霊を見る方法の二つ目は、
:周囲の幽霊性が顕著な人を見る
です。



現代社会では、特に幽霊性が顕著化しやすい時代ですから、簡単に見つかりそうなものです。



そもそもとして、我々一人一人、もちろん私もそうなのですが、幽霊性は大なり小なり持っております。

肝試しやお化け屋敷にわざわざ通う必要すらありません、周囲を見渡せば、幽霊(正確には幽霊性が顕著な人)は意外と見つかるでしょう。

わざわざ、幽霊を見つけようと旅に出ずとも、勤め先や学校で周囲を見渡せば、沢山見つかるものです。



一例を挙げると、昔のことをやたらグチグチと言ってくる人や、やたら未来の事を語りたがる人は、幽霊性が顕著な人です。

周囲にいらっしゃいませんか、やたら昔の恨み辛みを、毎回同じ調子でごちゃごちゃ宣う人。

特に、インターネットビジネス業界で、「稼げる未来を云々」とのたまって集客している輩は、典型的な幽霊であり亡者の姿です。

来るかどうか分からない未来を錯覚させて、お金だけ奪うという、地獄餓鬼畜生の者共です。

このような人や亡者は、まさに今を生きていない、今という地に足を付けて生きていない幽霊です。



大切な事は、そのような幽霊性が顕著な人と相対した場合や見つけた場合に、自分も幽霊化しないことです。



珈琲やお茶を飲みながら、ついつい昔の恨み辛みを言い合ったりしたくなるのは、人の性であったり人情でもありますし、わからんでもありません。

でも、どこかで歯止めを掛けないと、ずるずると「今、ここ」から離れてしまい、結果として幽霊化してしまいます。



また、幽霊性が顕著な人を見つけた場合は、単に智者の振る舞いをするかの如く、賢い者ぶって批判するのではなく、反面教師として学ばせて頂くのが良いかと思います。

「私もあの人と同じ幽霊性を持っているし、やらかしてしまうものだ。」と頂き、身を引き締めるのです。



私も仏法を学んでおり、己の幽霊性をしばしば内省するところでありますが、ついつい「己の幽霊性に気づいている自分は偉い」と、傲慢さ・慢の煩悩に支配されます。

このような内省を繰り返していくこと、それが大切ではないかと、私は思うわけであります。



幽霊性の強い人を見つけたら、反省させて頂くようにつとめたいものです。
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幽霊を見る方法は今を生きる方法に繋げる

今回は、科学的に「幽霊を見る方法」というよりは、仏教の智慧としての「幽霊を見る方法」をお伝えしてきました。



貞子さんや記号的なホラー映画の幽霊を見たいと思うて下さっている人にとっては、面食らったり明後日の方向の話であったかもしれません。

ただ、それはそれで面白い試みではありますが、幽霊という概念をこのような捉え方をするのも、何らかの味わいがあるのではないか、私にはそのように思えるのです。



そして、今回の話を最後までお付き合い下さいましたあなたには、是非とも
:幽霊を見る方法を学ぶ事は、今を生きる方法に繋げる
と言う事を、覚えて欲しい、そのように私は考えております。



今を生きる方法に関しては、仏教・仏法にその智慧が御座います。

今回お伝えした事から何かを感じ取って頂き、鏡を見るたびに己の幽霊性を再確認して、そこから「幽霊ではなく人として生きるにはどのように生きるべきか」を、問うきっかけになれば、幸いに存じます。



尚、今回の話は、こちらと共にお読み頂ければ、より理解しやすいかと存じます。

参照:「幽霊はいるかいないかを仏教から観る」



幽霊とは、自分自身も持ち合わせている性質であると頂く事により、幽霊・亡者にならぬ生き方を模索していけるのではないか、私はそのように頂いております。



合掌

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