幽霊はいるかいないかを仏教から観る

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

あなたは「幽霊(ゆうれい)」と言うと、どのような事柄を連想されますか?
226623 夏の風物詩、と答えられる人も、いらっしゃることでしょう。

夏と言えば怪談、怪談と言えば「幽霊」という認識は、よくある話ですからね。

夏休み頃になると、「幽霊」を題材にしたホラー映画や特集番組が組まれて、にわかに幽霊ブームらしき空気が毎年発生している気がします。

ほのぼのとした幽霊話と言えば、「居酒屋幽霊」や、西田敏行さんが落武者幽霊役をされた映画「ステキな金縛り」もあります。



最近は、有名な幽霊と言うと、テレビの中から出てくるらしい貞子さんが、他の日本幽霊とVSと題して闘っているそうですね。

ジェイソンVSフレディではありませんが、同族同士闘わんでも、と突っ込みを入れようにも、人間はもっとえげつないことを平気でやってのける生き物ですから、むやみに突っ込めんものです。



この辺りを、映画好きな僧侶であられる浄土宗の秋田光彦さんと、浄土真宗の釈徹宗さんが、改めて対談して下さると、興味深い話が聞けそうな気が致します。

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幽霊はいる?いない?の前に、そもそも幽霊とは何か

幽霊と言うのは、私は仏教の視点を持っていることもあり、これは概念的なものであると頂いております。

そして、幽霊の話となると、「幽霊を観た!やっぱりいたんだ!」とか「幽霊はいる!」「幽霊はいない!」という、「幽霊いるいない論争」もあったものです。



私が子供時代は、そういう話もちらほらレベルですがあったものですが、どうでしょう、現代はそういう話って子供達はするものですかね。

妖怪ウォッチの話はするけれども、人型をした幽霊の話は、あまりしないものでしょうか。



さて、「幽霊はいる?それともいない?」の話をする前に、まずは幽霊について定義を学んでおきましょう。

「幽霊って何?」と聞かれて、その定義を「そういえば・・・」と、答えに窮したことがあるならばなおのこと、夏に向けて学んでおくのも、一つの教養だと思います。



「幽霊(ゆうれい)」とは、
:中国語「幽(他界後の世界)+霊(たましい)」
が語源です。

それが日本では、土着信仰なり神道との結びつきがあったのだと思われますが、
:他界した方が成仏することなく、この世に現れた姿
とあります。



よく、「幽霊の対策は、成仏させることだ」というのは、仏教的な要素を私は感じます。

だって「成仏」と言いますからね。

このことについての私が感じる事は、別の機会にお話し致します。



要約すると、幽霊とは「他界した人の魂」ということです。

すなわち、生きた人間の話ではありません。

既に肉体を持たぬもので、でも姿が見えると言うことですから、実態が無い人型の霊魂、蜃気楼みたいなものであるというのが、幽霊という存在です。
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幽霊は「いる」か「いない」か、ヒントとなる仏教の話

幽霊は「いる」か、それとも「いない」のか。

辞書を引いて意味を学んでも、それだけでは幽霊がいるかいないかの結論は出ません。



そこで、仏教ではどう考えるか、少なくとも仏教徒である私の考え方ではありますが、参考となる話をして下さった僧侶の話も交えてお伝え致します。



仏教では、幽霊がいるかいないか、など、証明しかねる事柄については、「無記(むき)」と申しまして、言語によって返答は致しません。

これと類似する話で、「肉体が滅びた後の世界は、存在するか否か?」という問いがありますけれども、ゴーダマブッダ(お釈迦様・釈尊)の時代から、「無記」を貫いております。

あるかどうかわからないこと、いるかいないか全てに証明できない事柄を、智者の振る舞いをして答えたりすることはありません。



そして仏教では、「そのような、あるかないか分からない事柄や、それに伴う迷信なり占いの類いに惑わされてはならない。」と、戒めて下さいます。

「迷信や占い、あるかどうかわからない不確実な事に惑うて今を生きる事を怠るべからず。」という教えです。



なんだか身も蓋もない話ですし、肩すかしを食らったと思う人もいらっしゃるかもしれませんが、これが仏教の基本的な「幽霊はいるかいないか」に対する返答です。



もちろん、地域や宗派、神道と結びつきが強い地域の土着信仰が強い場所では、その限りではありません。

ただ、基本的に仏教では、霊魂なり幽霊の類いは「いる」「いない」については、「無記」の態度です。
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幽霊は「いる」「いない」ではなく、私自身と頂く概念

私は、何度か「幽霊は概念である」と、申し上げております。



物質として、あるいは全ての人に見える形としての幽霊は、いるかいないか、という問いに対しては、私も基本的に「無記」として、「わかりません」としか答えようがありません。

ただ、私は幽霊を概念や、生きる智慧として頂いておりますから、「幽霊って何?幽霊はいる?いない?」と問われたら、「いる」と応える事もあります。



幽霊とは、生きるための智慧として頂くと、「幽霊はいる、いない」の概念について、別の扉が開くのです。



この辺り、臨済宗の禅僧である白隠禅師のお智慧も拝借していたりします。

その話は、釈徹宗さんの本「仏教ではこう考えます」が、とても参考になります。


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幽霊とは、私は、
:今を生きていない煩悩まみれな凡夫の姿
として、私は味わいを頂いております。

これは、何人かの真宗大谷派のお坊さん達から聞いた話で、なるほどなあ、と思うて採用させて頂いている、現時点での私の幽霊論であり、幽霊像です。



どういうことかと申しますと、幽霊って、大抵はこんな感じの姿をイメージされると思われますが、如何でしょうか?

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なんだか、前をしっかり見ておりませんし、長い髪は後ろに流れており、手はゾンビのように前にだらーんと垂らしていますね。

そして、幽霊と言えば足が無い、という姿が有名です。



一体、これが何故「煩悩にまみれた凡夫の姿」であるかともうしますと、こういう図式です。

:長い髪が後ろに流れる=過去に縛られている、過去ばかり気にしている
:手は前に垂らしている=未来ばかり追い求めている
:足が無い=地に足が付いていない

こういう見方をすると、どうでしょう、まさに生きている我々人間の姿ではないでしょうか。



誤解を恐れずに言うならば、幽霊はいるかいないか、という事を、この話に照らし合わせると、そこら中にいるということになります。

我々は、まさに幽霊の姿を体現して生きていないか、私はそのことを、幽霊話を聞くたびに思うようになりました。



つまり、幽霊という概念は、私たち人間に当てはめれば「幽霊性」という言い方が出来るのです。

幽霊性が色濃い人は、「今をないがしろにしてしまっている」という見方が出来る、という考え方です。



お陰様で、幽霊がいるかいないか、という議題は、私にとっては、
「今を生きているか、地に足が付いているか」
という戒めの話として味わい、頂くようになったものです。



私も含めてですが、今を大切にしておらず、地に足が付いていない、前をきちんと観て歩いていない人間を「幽霊」と観るのです。

そうすることで、「幽霊はいる?いない?」に、仮ではあってもひとまずは着地する事が出来ると思いますが、如何でしょうか。

「幽霊はいる?いない?」という問いから「曖昧さ」の大切さも学ぶ

科学技術が発達した現代社会では、怪異現象や超常現象、あるいは幽霊がいるかいないかを真面目に研究して下さる人達がいます。

最近流行しているらしい、怪奇現象の動画や心霊動画も、解明されたりメスを入れられてぶった切られたりしていますね。

参照1:「心霊動画にみる心霊映像ビジネスと仏教」

参照2:「心霊スポットに思う事|京都」



それでも、長年研究されつつけていても、幽霊がいるかいないのか、物質的にはなかなかはっきりした解答は見当たらないものです。

でも、私はこういう「曖昧な事柄」を「曖昧なままで受け止め味わい、頂く」と言う事は、大切にしたいと考えて降ります。



もちろん、科学技術の発展によって、医療の現場や暮らしの豊かさに繋がる事も多々ありますから、それはそれで凄く感謝申し上げています。

しかし、現代社会では科学偏重、言うなれば「科学信仰・科学教」というほどに、狂信的な人もいらっしゃるのが気がかりです。



「科学的でないものは受け付けない。」「白か黒かはっきりしない奴は嫌い」とか、あなたの周囲にもいらっしゃいませんか、科学信奉が強すぎたり、やたら二元論で片付けがちな人。



幽霊はいるかいないか、確かに科学的に解明できれば、それはそれで大発見ですし、意味があるものでしょう。

それに、二元論で白黒はっきり出来て、その方が捗る事柄については、はっきりした方が良いこともあるとは、私も思うております。

そのように考える一方で、私は「幽霊はいる?いない?」という、一見すると何の意味があるのか、と思えるような問いや、曖昧さも、大切にしていきたいと考えております。



問いも答えも、二元論的に答えをはっきり示せない事柄から「曖昧さ」の大切さを学びなおす、気づかせて頂くきっかけになるのではないか。

そのように私は「幽霊はいる?いない?」という問いを、頂いております。



合掌

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