有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。
あなたは、「高揚感」という言葉を聞いて、どのような状態を連想されますか?
私は、この高揚感という概念や状態は、昨今は特に自己啓発業界やインターネットビジネスと呼ばれる業界で、悪用されていると感じております。
今回は、まずは「高揚感」について、意味と言葉の使い方を例文から学び、更に生きる知恵や詐欺的な手法に引っかからない知恵も同時にお伝え致します。
高揚感の意味
何はともあれ、まずは高揚感とはどういう意味か、基礎知識から学ぶ事に致しましょう。高揚感の国語辞典的な意味は
:興奮している感覚、気持ちが昂ぶっている状態の感覚
:精神・気分などが高まること
です。
「昂揚」とか「昂揚感」とも書きますから、
:激高・激昂している状態、その感覚
:精神・気分などが高まっている状態の感覚
という意味として捉えると、もっと理解が深まります。
「高揚感を覚える」「昂揚している状態」は、英語では「To get excited(エキサイトして状態)」です。
「テンションが上がる」と言いますが、細かいことを言うと「テンション(tension)」は緊張状態を指す言葉ですから、上がり下がりするという表現に違和感を覚える人もいそうです。
「ハイテンション」や「tensionmax!」という表現は、「緊張が最高潮に達している」という訳になりますから「高揚感を覚える」とは違う意味になりますね。
「高揚感を覚える」というのは、高揚している自己の状態を認識しているという意味ですから、自覚的な感じが致します。
後ほどお伝え致しますが「あ、今高揚感がある」と、己の状態を自覚する事が、凄く重要になってきます。
この「高揚感のある状態である己の状態を自覚すること」という考え方は、覚えて置いて頂きたいところであります。

高揚感の意味を踏まえた上での使い方と例文
高揚感の意味がわかったら、次は言葉の使い方です。使い方の例文を紹介しますと、
「士気が高揚する」「闘うための精神を高揚する」「ダンスをして高揚感を覚える」
などです。
意味や使い方の例文から、何となく「これからやる事に対して気持ちを昂ぶらせる」というニュアンス・雰囲気が伝わるかと思います。
私は、ボクシングの世界に少しだけ携わっていたご縁を頂いている事もあり、今でもボクシングの試合を観戦することが御座います。
その時、控え室で円陣を組んで大声を張り上げたり、ボクサーがリングインするシーンを観る事が御座います。
あの場面は、高揚感・昂揚感をプラス方面で発揮しようというエトス(行為様式)だと、私は味わって観戦しております。
言葉の意味と使い方だけではなく「高揚感との付き合い方」も注意して学ぶべき
私は、我々人間は高揚感という感覚について、更に学びを深めて上手に付き合っていく必要があると考えておりです。何故、高揚感について学ぶ必要があるか。
もっと言うと「高揚感という刺激との付き合い方を学ぶ必要があるか」です。
仏教には「一切皆苦(いっさいかいく)」という教えがあります。
極端な話に思われるでしょうが、どのような刺激や知覚・感覚も「苦」であり、「楽しい、興奮してやる気に満ちあふれている状態」も「苦」である、苦に繋がるという考え方です。
「高揚感を覚える」という状態について申し上げますと、高揚感を覚えているその時はよくても、「高揚感」が引いて無くなった時、どのように感じられるか、体験的に、体感として知っている人も多いのではないかと存じます。
「あんなに興奮して気持ちが昂ぶっていたのに」と、ギャップ・落差に衝撃を受ける事になります。
実害が無ければまだ良い方ですが、高揚感によって衝動買いをしてしまい、散財してしまった後でしたら、後悔の度合いも強まります。
このように、高揚していたり、興奮していた時はよくても、興奮が冷めて「しまった!」と後悔したという苦い経験って、あなたにもありませんか?
確かに、高揚感は使い方や付き合い方によっては、仕事をスタートさせるためのやる気や潤滑油になり得ます。
上であげた試合に臨むボクサーの例もそうですし、勉強する時に集中力や勢いを付ける際に、高揚感が上手い事作用することだってあります。
でも、使い方や付き合い方を間違えると、とんでもない事になったり、トラブルになる場合もあることを自覚する必要があるのです。
高揚感の注意点1:詐欺師は高揚感を利用して我々の財産を奪おうとしている
高揚感を覚えるという現象を利用している連中と聞くと、あなたはどのような連中を想像されるでしょうか。インターネット上、俗に言うネットビジネスとか言う業界や、自己啓発関連、最近でしたらコンサルタントを名乗る連中も、高揚感を利用していますね。
そういう我利我利亡者による自己啓発セミナーやセールスレター、無料オファーとかプロダクトローンチとかいう手法は、高揚感を覚えさせる手法を利用しまくっています。
また、詐欺的な似非コンサルタントも、コンサルサービス販売の時に使っています。
特に自己啓発ビジネス(という名の搾取・詐欺の現場)では、この高揚感を利用した販売手法は露骨です。
笑ってしまうを通り越して、呆れるくらいに露骨です、私も実際に潜入したときに観ました。
参照:「自己啓発セミナーの危険な実態!」
まあ、本当に酷い、とにかく酷い。
「ダンスだー!」とか言って、お客様はまさに読んで字の如く「踊らされた状態」になります。
そして、身体が動いて活性化したところで、「講師の登場です!」とか言って、興奮状態を更に作り上げてます。
そして、途中で何度も「実践的ワーク」とかなんとかいって、ハイタッチしたり叫ばせたりして、終始高揚感を煽ってきます。
このように、高揚感を覚える状態に仕上げる、疲れ果てて思考停止状態に持って行く、自己啓発セミナーではそのような事をやっています。
こんな事する目的はただ一つ「高揚感を揺さぶり、冷静さを失わせて、高額商品を購入させるため」です。
いわゆるネットビジネスコンサルタントとか情報商材などのセールスレターも、高揚感を煽る手法がふんだんに盛り込まれています。
手法としては「不安を煽る→不安を解消する解決策は自分だけが持っている→早くしないと販売終了しますよ」という感じです。
「不安感と高揚感と焦燥感」という、見事な喜劇的かつ悲劇的三感王です。
この流れの中で、色々と興奮する言葉を盛り込み、高揚感を覚える仕組みで冷静さを失わせて、あなたから財産を奪おうとしているのが、詐欺師達の手法です。
自分が高揚している状態である自覚できず、冷静さを欠いてしまうと、まんまとこれらの我利我利亡者な詐欺師達に財産を奪われます。
だから私は「高揚感を覚えること」や「高揚した状態に気づかないこと」に、警鐘を鳴らしておるのです。
今回の表題は「意味と例文から学ぶ」です。
「ダンスをして高揚感を覚える」という例文をお伝えしましたが、ここで学びとして活かすことが出来ます。
「ダンスは高揚感を覚える行動→ダンスをさせてくる自己啓発詐欺師には要注意」という具合で、学び覚えておきましょう。

高揚感の注意点2:高揚感は基本的に毒になり得る刺激と心得る
高揚感は、上手く活用出来れば確かに長所もあるのですが、基本的に刺激物であると、私は認識しております。高揚感という概念それ自体には、善も悪もありません。
高揚感を覚える状態になったときに、自分がいかに立ち振る舞うか、が問われます。
そうしないと、上で話した通り、詐欺師に人生の主導権を奪われかねません。
高揚感の毒におかされないための方法や心構えは
:高揚感は基本的に毒になり得る刺激
:高揚感を覚える事に自覚的であるべし
です。
そして、この二つの心構えを念頭においておき、こまめに自己観察、自分自身を常に省みる癖を付けることです。
例えば、本を読んでいるときに何かの言葉で興奮を覚えたら
「あ、今自分は、この言葉で興奮した。」
と、己を省みて心の動きを観察します。

映画を観たときにを例にしますと、
「自分はあの場面で高揚感を覚える状態に至った。」
と、自己観察を繰り返します。
このようにして、冷静な自己を取り戻す方法を覚えて置けば、いざ高揚感に支配されそうになっても、冷静な立ち位置に戻れる可能性が高まります。
仏教・仏道において、高揚感などの感情の起伏、楽という感情も、実は苦に繋がる刺激と説く場合が御座います。
有名なのは、原始仏教僧侶であられる小池龍之介さんの御法話なり仏説ですね。
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上で挙げた「「自分を浄化する坐禅入門」は、刺激を和らげる瞑想やエクササイズについて、説いて下さっている本であり、私もここから学ばせて頂いております。
興奮状態・高揚感を覚えている状態のままでいる事は、大変危険です。
また、直ぐに高揚感を得やすい人も、注意が必要です。
そうならないために、小池龍之介さんを始めとした僧侶が伝えて下さっている瞑想や坐禅は、力となってくれるのではないかと、頂いております。
楽しいときに覚える高揚感というのは、確かに心地良いものです。
でも、それに毒されてしまっては、後々後悔して泣きを見る羽目になります。
泣きを見ないためにも、仏教・仏法の実践によって、高揚感に身を任せて支配されないようにしたいものです。
尚、高揚感、高揚の意味と共に学ぶべき注意点は、その他にも伝え方を変えてお伝えしております。
参照:「高揚の意味と学んでおくべき注意点」
合わせてお読み頂く事で、より高揚・あるいは高揚感の意味の理解が深まり、毒される注意力が身につくかと存じます。
合掌