有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。
一時は、映画の効果もあってか、終活がブームのような時期もあったと記憶しております。
終活の知名度は「エンディングノート」という、どんぴしゃりの題名の映画があり、話題になった事も大きく関係しているように思えます。
映画「エンディングノート」は、2011年に公開されたドキュメンタリー映画で、結構話題になったものです。
終活とは、辞書的な意味は「人生の終わりのために行う活動」です。
最近は終活セミナーも結構開かれておりますし、エンディングノートの書き方も無料で学ぶ事が出来るくらいに、認知度も高まり実際に行う人も増えつつある様です。
現在は有り難い事に、エンディングノートの書き方は、検索すると無料で書き方の解説と用紙をダウンロード出来ます。
終活の仕方やエンディングノートの書き方は無料でダウンロード出来る
終活とは、エンディングノートを書いたり、家族に自分の相続や葬儀について離しておき、いざ自分が往生した時に残された人が混乱しないように配慮した活動という意味もありますね。終活カウンセラーやエンディングノートの書き方を伝道する人の中には
:終活は、残された人のために行う活動
と位置づけていらっしゃる方もいます。
確かに、遺される人が後々混乱しないようにと、法的な効力のある遺言状をしたためておき、葬儀の際に役立つであろうエンディングノートを遺しておく事は意味があります。
残される人のためという終活の意義や意味は、私も否定致しませんし、頷けるところです。
エンディングノートの書き方について、さらっとまとめておきますと、
:生年月日などの基本情報
:自分史(学歴や職歴、血縁の情報など)
:財産について(保険の契約など)
:お墓や葬儀について
:遺言書の有無や形見分けについて
等々です。
ちなみに私は、遺言状の書き方を学んで、実際に定期的にしたためるようにしております。
私の遺言状は、財産の分配をどうするかなど、主に事務的な事柄をしたためております。
私の印象としては、エンディングノートと遺言状は似て非なる物、といった感覚ですね。
更に詳しい内容は、現在は有り難い事に、終活カウンセラーや専門的なウェブサイトが、PDFファイルにするなどして綺麗にまとめてくれています。
説明書に沿ってかけば、エンディングノートの書き方は直ぐに覚えらるでしょう。
また、終活に関する本も充実していますし、専門雑誌までありますよ。
|
ただ、書籍代はかかりますけれども。
また、無料で参加出来るセミナーもありますし、そこでエンディングノートの書き方や終活の進め方を学ぶ事も出来ます。

セミナーや講座にて、エンディングノートの書き方や終活の進め方を学ぶ事により、寄り理解が深まるかと存じます。
それにより、助言者としての力も、指導を受けながら指導者の在り方も学べますから、終活カウンセラー資格を考えていらっしゃる方には、力となる場ではないでしょうか。

終活に肯定的な意見と否定的な意見の両方がある
終活については、否定的な人もいらっしゃるようです。例えば、宗教評論家のひろさちやさんは「終活なんておやめなさい」という本を出版されています。
|
遺言状や財産を残したことで、逆にトラブルになるという事も確かに人の世の中ではありますし、無い方が良かったというケースがあるのも事実です。
一方で、終活カウンセラーなど、実際に教えている人達の中には、残された人のためにすべきであると、真逆の事を仰っています。
終活やエンディングノートの書き方、やり方をきちんと学んで、実際に行う意味は、上で述べたように、確かに遺された人のためというのは大きくあります。
終活やエンディングノート作成は死生観に直結する事柄で、ここの人生観や死生観によるところが大きい概念ですから、色々な意見があって当然と言えば当然ですね。
私が考える終活やエンディングノートの書き方を学ぶ意味
ここからは、私個別の終活やエンディングノートの書き方を学ぶ意味についての意見ですから、鵜呑みにせず、一意見としてお読み頂ければ幸いであります。私は、終活をする事やエンディングノートの書き方を覚えて実際に残す事には、賛否を決められず宙ぶらりんの立ち位置です。
書きたい人は書けばよいし、書きたくなければ無理に書く事も無い、という、なんとも曖昧な立ち位置におります。
そもそも、賛否をはっきり決める事柄でもないと私は思うところであります。
エンディングノートの書き方を覚えたり、自分のお墓や葬儀について考える終活は、残される人のためというのはもちろんあるでしょう。
私はそれに加え、終活をする意味や意義について
:今を生きる自分自身を見つめ直し、己の立ち位置や己そのものを知るため
という意味もあると考えております。
就職活動では、自己分析が大事だと叫ばれております。
けれども、下手な自己啓発的自己分析をするよりも、終活やエンディングノートの書き方を学び、実際に書き進めてみる方が、よっぽど自己分析になり得るかもしれません。
エンディングノートや終活は、己の人生の集大成と言いますか、自分史を作って己を見つめ直すという機能がありますからね。
終活をして就職活動に活かす、というのも、方法論としては一つあるような、そんな事を考えております。
このような終活に対する考え方を持った私の経緯について。
仏教・仏法は、確かに往生された方の供養・追善供養を行うという意味も、ご先祖様とのご縁を感じる大切な儀式であり、宗教的な行為様式であると、私は思うております。
同時に私は、
:仏教・仏法は生きる人に説くべき教え
:仏教や仏法は生きる智慧・生きるための智慧
とも位置づけております。
現に、うつ病になった時に私は仏教や禅語にお救い頂いた経緯があり、その事は理屈云々ではなく、体感的にそのように感じております。
そのような仏教と人との関わりを感じ取り、死生観を持っておることから、私は
:終活は残される人のためだけではなく、今を生きる人のために行う活動でもある
:エンディングノートの書き方は、今を生きるために己の現在地を知る地図の作り方
このような意味を見出しております。
終活カウンセラーの役割を私なりに考える
終活カウンセラーや終活アドバイザーについては、事務的な話を「終活カウンセラー資格の合格率と求人について」でしております。初級終活カウンセラーの合格率は98%で、比較的資格そのものは取得の敷居は低いようです。
ただ私は、終活カウンセラーの資格を取った後、肝心な事はその後にどのようにしてその役割を果たすべきか、という事だと思うております。
終活カウンセラーは、初級の資格の段階からエンディングノートの書き方を覚えて、自分で書ける能力を身につけます。
そして、お客様にエンディングノートの書き方を伝導出来る人でもあるわけですね。
でも、私は事務的な伝道が出来る事も大切ではありますが、エンディングノートを作成するお手伝いをすると共に、
:お客様が死生観・どのように生きてどのように往生するか
という話もしっかりと出来る存在であるべきではないか、そのような考えを持っております。
間違っても「エンディングノートの書き方や終活のやり方を教えてやっているんだ。」という、傲慢な終活カウンセラーにはなって欲しくない、と思うのです。
:じっくりゆっくりと話を聞く仕事を真っ当する事
:その上でお客様に終活の仕方やエンディングノートの書き方を適切に伝導する事
:それを通して、お客様の現在地から逝き方と往生の仕方を共に考える事
これが、現段階で私が考える終活カウンセラーの役割です。

「かかりつけ僧侶」という釈徹宗さんの話
「終活カウンセラー資格の合格率と求人について」でも、終活カウンセラーの役割は僧侶が担っていたという話をしております。僧侶・お坊さん達は、お墓やお葬式・葬儀のプロフェッショナルですし、各宗派で仏法や教義を学ばれている方々です。
エンディングノートの書き方や終活の仕方を相談する相手としては、僧侶も適役だと言えますね。
ただ、お寺や僧侶に話をするという事は、敷居が高いと感じる方も現代社会では結構いらっしゃるように思えます。
その現状を変える事が出来る概念として、釈徹宗さんが
:かかりつけ僧侶
という在り方を提案して下さっています。

同じように「かかりつけ終活カウンセラー」というのも、ありでしょう。
終活をする際、エンディングノートを書くとき、否が応でも己の死生観を垣間見ることになります。
そのような時に相談出来る「かかりつけ僧侶」「かかりつけ終活カウンセラー」の存在は、自分の死生観を考える上で凄く重要で有り難いのではないか、私はそのように思うております。
偉そうなことは言えませんが、終活カウンセラーをされるならば、「かかりつけカウンセラー」になるくらいを目指して欲しいですね。
ご自身のご実家やおうちが、どこかのお寺の檀家であるなら、一度菩提寺を訪ねてみては如何でしょうか。
かかりつけ僧侶は、意外と身近なところにいらっしゃるやも知れませんよ。
合掌