有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。
このお堂(ブログ)では、以前に終活カウンセラー・就活アドバイザーについてお伝えした事があります。
終活カウンセラーは、現在は終活カウンセラー協会による認定資格があり、合格率や就職・求人や仕事の実態についても、少し触れましたね。
私自身は、就活カウンセラーではありませんが、僧侶の話を聴聞させて頂き続けているために、通底する部分を見出しておったりします。
そのような事もあり、終活カウンセラーの役割と仕事について、一家言あると言いますか、在家仏教者としてこんな理想を持っております。
終活カウンセラーの資格と役割や仕事についての前提として思うこと
就活カウンセラーや就活アドバイザーと一口に言っても、その役割や仕事というのは、どのようなものなのでしょうか。現在、終活カウンセラーの資格は、初級でしたら合格率も高くて、比較的敷居が低いと思われているような気がします。
確かに、資格を取ること自体は、講習を受けてしっかり勉強して、ある程度時間を掛ける事によって、取得それ自体は出来そうな気も致します。
でも、大切な事は「なった後・就いた後・資格を頂いた後」であると思うのです。
なんたら認定資格とか、権威の力を見せびらかすために、取る人など結構いますからね。
自分がお金を儲けるためだけに、「SEO資格取得」とか「仏教の先生の資格取得」とか「史上最年少でこの資格を取得」とか、自分の凄さや権威をアピールするために資格を利用する我利我利亡者もいます。
資格は権威を主張したり自慢するためのものではありません。
資格とは「その役割を担い仕事をする事を許可しますよ、という許可証である」と、私は考えておりまして、自己PRの道具ではありません。
私は、事業拡大とか差別化を図ったり、アイデンティティのためにこの資格を持つことを否定はしませんが、それが前面に出ているのはなんだかなあ・・・と思うところが御座います。
現代社会においては必要な事かも知れませんが、それにしても、です。
終活カウンセラーの資格も、「俺、終活カウンセラーの資格を持っているんだぞ、どうだ凄いだろう」という自慢目的で、持たんでほしいものです。

就活カウンセラーの役割や仕事は橋渡し役なのかも
それを踏まえた上で、終活カウンセラーの資格とはなんでしょうか?終活カウンセラー協会のウェブサイトやパンフレット、あるいは現役の人達の話には、
:未来に向かって進む・人生の棚卸し・今の自分を受け容れる、それらを手伝い導くこと
というのが、就活カウンセラーの役割と仕事をまとめたところでしょう。
私としては、これらをもっと平たく、そして一言で言うなれば、
:エンディングサポート全般
という認識をしております。
エンディングサポートって、僧侶が担っている事と通底すると私は考えております。
実際に、終活カウンセラー協会の講演などで、僧侶も関わっていて講演をされることもあるそうですから、やはり親和性と言いますか、関係性は大きいんだと思われます。
終活カウンセラーの仕事として、葬儀や相続、お墓の相談も受けるわけですから、僧侶との関係が密な方が、より相談者に寄り添える形で役割や仕事を真っ当出来るでしょうからね。
終活カウンセラーの役割や仕事とは、このような見方をすれば、
:エンディングサポートにおいて関わる人々との橋渡し的な役割
を担う仕事である、そのような印象を持っております。
終活カウンセラーの役割と仕事を全うするための在り方を問う
私は、カウンセラーやアドバイザー、また似た仕事としてコンサルタントという役柄の人とも接したことがあります。私の場合、睡眠障害やうつ病のために、心療内科でカウンセラーのお世話になっていた事もあり、その体験からもカウンセラーと呼ばれる仕事や役割を担う人について、思う事や希望も御座います。
また、人を導くという役割を担う色が濃い仕事・職業の人には、仏教者であり僧侶とも関わっている私だからこそ思う事もあります。
ここから先は、あくまで私の終活カウンセラーに対するお願いと言うことで聞いて頂ければ、幸いです。
終活カウンセラーの在り方として、私は上で申し上げたような、
:権威として資格を持つ・新規事業やお金儲けのためだけの資格取得
という目的で終活カウンセラーになって欲しくない、という思いが前提としてあります。
実際にある話ですが、仏教に関連するビジネスがどうのこうのという話をしている人で、導師(僧侶として導く人)の資格をやたらアピールしている人を見かけたことがあります。
かなり若い段階で導師の資格を取ったらしいのですが、やたら鼻につきます。
もちろん、鼻につくという印象を持つのは、私の煩悩であり色眼鏡、「邪見(じゃけん)」で有る事は否めますが、それにしても、です。
現代社会で生きていくためには、どうしてもお金は必要な場面もありますし、生活するために必要な事があるかもしれません。
でも、権威を振りかざすために仏教導師の資格を必至にアピールする姿は、痛々しくて見ていられなくなります。
そういう私の体験を踏まえて、終活カウンセラーも、資格自慢のためだけに取得するような心構えは、捨てて頂きたい、そのような願望を持っております。
それを踏まえた上で、終活カウンセラーとなって、いざ相談に来て下さる方に、役割を全うし仕事をする上で、念頭に置いて欲しいことが御座います。
それは、
:把手共行(はしゅきょうこう)
という禅語と意味・概念です。
これは、お遍路さん、八十八カ所の遍路をされた人ならば、笠に「同行二人」とかかれていて、その関連で「把手共行」も覚えたという人もいらっしゃるやもしれませんね。
この「共行」は、お念仏を称えさせて頂く際の話ではありますが、浄土宗でも法然上人の言葉として「共行」という言葉を頂いております。
法然上人の言葉は、
「一人籠もり居て申されずば、同行と共行して申すべし。」
と、勅伝巻の45、十二問答に記されております。
浄土宗では「共生(ともいき)」を大切にされていますから、共行にも通じる解釈も、私は味わい頂いております。
話を「把手共行」に戻しましょう。
「把手共行」とは、語感から分かる人もいらっしゃると思いますが、「手を取り合い共に行く」という意味や解釈がなされる禅語です。
つまり、共に手を取り合って、共に歩いて行く、ということですね。
この禅語の意味や解釈は、まさに終活カウンセラーが役割を全うし、仕事をする上で大切にすべき心構えではないかと存じます。
人の話を聞く仕事全般に言える事ですし、もちろん終活カウンセラーも含みます。
終活カウンセラーは、相談に来て下さる人のエンディング、生死(しょうじ)に関わる仕事であります。
現代社会においては、それなりのビジネス的視点や、生活するための金銭の話も、どうしても避けては通れないでしょう。
だから、終活カウンセラーが受け取る金額の話などが出るのも、多少はやむを得ないのは理解出来ます。
でも、人様の生死(しょうじ)に関わる仕事なのに、やれ金だ、やれ権威のための資格だ、とか、そのような心構えで対応されたら、相談者はどのように思われるでしょうか。
その後の信頼関係云々以前の問題です。
ゆえに、私ごときが偉そうで生意気な事を申し上げますが、就活カウンセラーとして、役割を全うし仕事をきっちりして下さる方には、「把手共行」を忘れないで頂きたい、そのように思うのです。
私ごときが生意気で偉そうなことを申し上げて、大変申し訳ありません。
しかし、私は酷いカウンセラーやアドバイザー、コンサルタントと何度か接して来た経験があるがゆえに、反面教師としてそれらから学んだ事を申させて頂いた次第であります。
昔は、僧侶は周辺に住んでいる住民に寄り添い、それこそ「共に生き、共に歩み行く」という存在だったという話を、色々なお坊さん、またお坊さんの本から教えて頂きました。
このような僧侶の在り方を、終活カウンセラーとしての役割を担って仕事に当たって下さる方々には、継承していって欲しいというのは、私の煩悩でしょうかね。
尚、終活カウンセラーについての仕事や知識などについては、こちらでも記しております。
参照1:「人の話を聞く仕事と資格を活かした職業3つを紹介」
参照2:「終活カウンセラー資格の合格率と求人の実態」
参照3:「終活でエンディングノートの書き方を学ぶ意味」
これから終活カウンセラーになろうと思われている方には、今回の話と共に、是非とも押さえておいてほしいと思う次第であります。
合掌