「気にしないで」の傲慢さ|英語と仏教から学ぶとよくわかる

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

あなたは、気にしやすい性格であったり、物事を気にする性質で、人からよく「気にしないで」とか「気にするな、そんな事は忘れろ」と、言われる事が多い人でしょうか。
082990 それとも、あまり物事を気にしないでいられる性格で、気にしやすい人に対して「そんな事、いちいち気にしないで」と、言う側でしょうか。



神経質と言われる人や、物事を気にする人、気になる人は、結構な頻度で「気にしないで」と、言われるのではないかとお見受け致します。

と、いいますか、私がそのような性質でして、よく「気にしないで」「早く忘れなさい、気にするな」と、言われて育ったものです。

故に、「気にしないで」という言葉が、実は励ましでは無く、時として刃の如く突き刺さったり切り刻まれる感覚を受けたことも御座います。



私は経験上、人に無作法に「気にしないで」という事の危険性や怖さ、そして「気にしないで、気にするなと言われても・・・」という事を、体で感覚的に学んでおります。

今回は、「気にしないで・気にするな」という励まし方を、英語と仏法という角度から学びます。

それと同時に、言われて傷ついている人の傷が、少しでも癒えるように話が出来ればと思うております。

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「気にしないで・気にするな」という励まし方をする前に「気にする」を英語から読み解く



人という生き物は千差万別、色々な性格なり性質があり、その中には「気にしすぎる人」や「神経質で、気にしやすい人・気になる性質の人」という事も御座いましょう。

冒頭でお伝えしました通り、私のことでもあります。

私は、生来より気にする性質、物事が気になる人なのでしょう、「気にしないで」「気にするなよ」と、何度も何度も言われてきたものです。



では、よく「気にしないで」とか「お前はそんな事を気にするのか、そんなの気にするな」と、言ったり言われたり致しますが、そもそも「気にする・気にしない」という事を、きちんと定義を説明出来るでしょうか。



言葉や概念を定義することは、物事を探求したり理解を深めるために大切な事であり、また仏教的なアプローチでもあります。

そこで、「気にしないで」を考える前提として、「気にする・気になる」のきになるを、きちんと考えて観るところから始めてみましょう。

今回は、英語の勉強にもなりますし、日本語をより深く理解するための言語的なアプローチとして、英語の力も借りてみます。



まず、「気になる」と「気にする」の違いは、自動詞か他動詞の違いを見出すことが出来ます。

「気になる」が自動詞で、「気にする」が他動詞です。



では、「気になる」の英語から観て参りましょう。

「気になる」の英語は、
「feel like(~のように感じる)」「feel inclined to(~したい気がする、~な傾向がある)」
があります。

もっともしっくりくる日本語の「気になる」に該当する英語は、「feel like」でしょうか。

「こんな気がする、こんな風に感じる」というニュアンス・語感の英語で、「気になる」の英語として使える表現です。



一方の「気にする」は、
「mind」「care(気になる事、気がかり、不安、心配事)」
があります。

他には、「worry、be worried(心配する、気にかかる、悩む、心を痛める)」も、「気にする」という日本語を表現出来る英語です。



英語の表現から、改めて日本語の概念としての「気になる」「気にする」というと、確かに度合いが過ぎると具合が悪いかも知れません。

でも、バランスがよく、仏教が説く「中道(ちゅうどう)」の塩梅でしたら、感受性があって人を心配できる事にも繋がる、そのような味わいや頂き方も出来ます。

「気に掛ける、気にかかる」や「心を痛める」は、真の意味で眞身になって寄り添う菩薩行の力にもなりましょう。



英語から「気になる」「気にする」を読み解くと、悪いことばかりでは無い、無下に「気にしないで」と言う事が憚られてきます。
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「気にしないで」と言う前に、「気にする」を仏教的に考える

「気にしないで」と、無下に人様に言う前に、今度は「気になる」「気にする」を、仏教的な視点から問うてみます。



確かに、気にしすぎる事や、気になる事に念を継ぐ、仏教では「二念を継ぐ」というのですが、この度合いが強すぎるのは、現代社会では具合が悪いこともしばしば御座います。

場合によっては、私もお世話になりました心療内科の領域になり、そこからうつ病や強迫性障害、統合失調症などになった場合は、認知行動療法などが必要な場合もあります。



このような、度合いがきつすぎる「気になる」「気にする」は、「執着(しゅうじゃく)」という仏教が戒める事もあるからで御座いましょう、「気にしない練習」という本を僧侶や仏教者が世に出されるのも頷けます。



例えば、真言宗の名取芳彦さんは、どんぴしゃりの本を出されています。

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「気にしない練習」って、まさにどんぴしゃりの題名です。



また、タイやミャンマーで仏教を学ばれた、原始仏教サイドの僧侶であられる草薙龍瞬さんも、そのような趣旨の本を出されています。

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どちらも、「執着しない」という事や、「念を継がない」という教えに基づいているような、そのような印象がありました。



禅宗では、禅語に「放下着(ほうげじゃく)」がありますから、気にしすぎていたり、気にする事で具合が悪くなることを戒めてくれる教えが御座います。

禅僧の本を読むと、気にしない練習や気にしない方法を仏教の修行の話と共に、教えて下さっている事が分かります。

そうかと思えば、徹底的に気にする事が大切である、という事も説かれることがあり、宗教的な揺さぶりを頂けるのですがね。



ここで注意したい事は、仏教では「気にしない練習」や「過度に気にしないで」「あまり気にしすぎるな」という事を説くことが、確かに御座います。

でも、それは「(気にする自分)に、まず気づいて明らかにする事、そしてその事を受け止める事」という段階を経て、のことです。

頭から「気にする」「気になる」を否定してでは無く、まずは「明らかにする」という意味の「諦める」があってのことであるのは、注意して欲しいことに御座います。

仏教では考え無しに「気にしないで」とは言っていませんからね。



仏教的な見方による「気になる」「気にする」は、
:気にしすぎない、かといって気にしなさすぎない
という事です。

バランスよい気になる、バランスよい気にする、という「中道(ちゅうどう)」があるという事を、知っておいて欲しいところです。
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他人に「気にしないで」「気にするな」と励ますつもりで言っているつもりが傷つける事もある

「気にする」「気になる」という言葉と意味、概念を、きちんと定義できる智慧と知識を、英語と仏教から学んだところで、表題の「気にしないで」という励ましについてです。



あなたは、他人に「気にしないで」と、今回の事柄を問わずして、考え無しに言ってはいないでしょうか。

気にしておろおろとしている人に、ついついいらついて「そんなの気にするな。」「気にしないで、あなたは物事を気にしすぎ。」と、説教をするように言い放っていないでしょうか。



物事や出来事に大して、あまり気にしないでいられる性格であったり性質の人は、特に「気にしないで」と、深く考えずに言い放ってしまうのではないかと感じます。

私は気にする性質、物事が結構気になる性格ですから、あまり物事を気にしないでいられる人の気持ちなり精神はわからんから、これは想像に過ぎませんが。



そもそもとして、気にならない性質の人は、今回の事も気にしないでいられるから、考えるきっかけも問いを立てる機会もなかったのではなかろうかと思われます。

この文章を読んでいらっしゃる方は、「気にしすぎる神経質な性格を何とかしたい」「気にしないでいられる人が羨ましい」という思いから検索して、到着した人の方が多いことでありましょう。



でも、他人に「気にしないで」と、励ますつもりで言っているという自覚が少しでもある人には、それが人を傷つける事もある、と、知って欲しいのです。



私が経験した事として、こんな事があります。



私は、体育や地域スポーツで、集団競技をしているとき、失敗してチームメイトに怒られる事が何度もありました。

その時、私はめちゃくちゃ落ち込みました、もの凄く気にしている状態です。

そこへ、他の人が「気にしないで」「気にすんなよ」と言われて、余計にズシっときたものです。

また、怒った本人が、頭を下げたり謝ることなく「気にしないで」「気にすんな」と、言ってきたことも御座いました。

その時は、「自分で言っておいて、なんだよそれ・・・」と、思うたものですが、気が弱い私は言い返せず、余計に傷をえぐられたものです。

それに、その人達は励ますつもりで言っているから、反発したり「気になるのは気になるんだ」というと、余計に話がこじれることを読み取っていた賢しらな子供でもありました。



厄介なのは、気になる人や気にする性質の人は、空気や相手のことを読み取る人であるがゆえに、「励ますつもり」を読み取り、本音を出せないというジレンマがあることです。

空気を読んだり、相手の気持ちをくもうとするあまり、そういうジレンマを抱えている人もいる、と言う事です。

気も弱いのも手伝って、言い返せずに悶々としたものです。

他人に「気にしないで」「気にするな」「忘れろ」と励ますつもりで言っている人へ

「気にしないで」と、励ますつもりで言っている人に、少し立ち止まって考えて欲しい事があります。



「気にしないで」「気にするな」という言葉を、考え無しに言う人もいますし、励ますつもりで言ってくれる人もいます。



でも、「気にする」「気になる」というのは、どうしたって内側からふつふつと沸いて出る事です。

これは、今の私も経験し続けている事です。



どうしたって、内側からマグマのようにふつふつと、「気になる」「気にする」という作用が吹き上がってくるのですから、それを「気にしないで」と否定されても、どうしようもないのです。

それを何とか緩和したり、上手くやり過ごす、あるいはそこに執着しないでいる方法が、仏道修行でありますし、方法論や治療法もあるにはあります。

実際、私も続けております。



でも、やっぱりどうしても、ふつふつと「気になる」「気にする」は沸き上がってきます。

それを他人が「気にしないで」と蓋をされると、なんともモヤモヤしますし、「気にする自分は悪だ」という方向に傾く危険性もあるのです。

私は、このような事に経験則から体で、身体性を持って気づいておるために、「気にしないで」と励ます危険性をお伝えしております。



「気にしないで」とか「気にするな」と言う事を、励ますつもりで押しつけるのは、私は傲慢であると考えております。

あなたが気にならないことは、他人は気にするべき大切な事かも知れない、という他者意識は、大切ではなかろうかと、私は思うております。

その他者意識なくして、自分都合で人様に「気にしないで」と言うのは、傲慢です。



他人に「気にしないで」という前に、立ち止まって考えて欲しい、というのが、私の勝手な煩悩かもしれませんが、願いであります。
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他人から「気にしないで」「そんな事さっさと忘れて気にするな」と言われているあなたへ

次に、他人から、励ましたり、説教として「気にしないで」とか「さっさと忘れろ、気にするな」と、言われているあなたへ、お伝えしたいことが御座います。



まず言っておきたい事は、「気にする・気になる性格のあなたは、悪くない」という事です。

だって、気になる事や、気にしてしまうという事は、内側からふつふつと沸き上がってくるのですから。



内側から自然発生的に沸いて出てくるものを悪だと断定して、無理にどうにかしようとすれば、無理がたたって身心ともに疲弊してしまいかねません。



確かに、あまりにも病的に気にしすぎると見受けられる場合は、医療機関で診察なりカウンセリングを受けた方がよい場合もあります。

そのタイミングは、「気にしすぎる傾向があるのは、もしかしたら病気かも知れない」と、自己認識・自覚した時です。

診察を受けて、病的であるならば、現在は認知行動療法もありますし、仏教の智慧も力を貸してくれます。

マインドフルネス瞑想などの仏教的エトスの力もありますからね、それはまた別途お伝え致します。



医療機関へ赴き、そこで病的で無いと診断された場合は、それはそれで安心材料となりましょう。

でも、病的で治療の必要が無くても、「気になる」「気にする性格」というのは、鎮座してしまっているかと存じます。



それ自体は、私は悪だとは思えません。



むしろそれは、丁寧な仕事をする力にもなりますし、よく気がつく人でもあるという側面があるとも言えます。

英語で学んだ「気にする」「気になる」を思い出して頂ければ、おわかり頂けるかと存じます。

英語で学んだ「気になる」は菩薩行にも繋がると、仏教的解釈もお伝えした通りで御座います。

病的では無く、でも気になる性格で悩んでいらっしゃる方は、気休めかも知れませんが、「菩薩行に繋がる仏性を持っている」と思うくらいが、良い塩梅ではないかと、私は考えております。



ゆえに、「気にしないで」と言われやすくても、頻繁に「そんな事、いちいち気にしないで」と言われても、ご自身を卑下したり否定する事はありません。

あなただけでも、あなたを優しく明らかにすると言う「諦め」で許容して受け止めて欲しい、そのように願うことに御座います。

世界の誰もが否定しても、私だけはこう申し上げます。



「気にする、気になる性格のあなたは、悪くない」



尚、今回の話と共に、こちらにも触れて頂ければ、より理解を深めて頂けるかと存じます。

参照:「気にしない方法も練習も無理してやらなくていい」

参照2:「嫌なことを忘れる方法の真実|仏教の智慧とエトスの力」



あなたの苦の解脱、「抜苦与楽」の智慧になれましたら、大変嬉しく思います。



合掌

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