断捨離の実践と効果|人間関係編

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

このお堂(ブログ)では、色々な断捨離にまつわる話をさせて頂いております。
断捨離というと、現在は色々な実践方法やその効果が、やましたひでこさんの本を始めとして、自己啓発本やビジネス書のコーナーで、学ぶ事が出来ます。



断捨離の主な実践方法やその効果は、部屋の中や家の中を片付けたりと、物理的な側面からの断捨離が多く御座います。

そこから深化と進化を経て、現在では仕事術としての断捨離や、人間関係の断捨離についても、実践の方法や効果の話が広がりを見せております。

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人間関係の断捨離実践

現在は、断捨離という概念が、人間関係にまで及んでおります。

人間関係の断捨離と言いますと、なんとも物騒な響きを感じる事も御座います。

人間関係を切って捨てよ、断捨離せよ、と言われると、嫌な人がいた場合に、その人の存在その者を処分するような響きさえあります。



もちろん、セツガイするというのが人間関係の断捨離という意味ではありません。



人間関係の断捨離とは、他者にあまりにも人生の主導権を奪われているときや、どうしても馬の合わない人と共にいなければならない場合など、そのような時の処世術と言い換えても良いでしょう。

要約するならば「人間関係における苦」にまつわる話で、人間関係における苦を断捨離すると置き換えると、わかりやすいかと存じます。



人間関係の苦において、仏教では「愛別離苦(あいべつりく)」「怨憎会苦(おんぞうえく)」といいまして、四苦八苦に含まれます。

良い人間関係に恵まれていない、と愚痴をこぼす人にとっては、「求不得苦(ぐふとっく)」も含まれるでしょう。



「愛別離苦」は、愛しい人と別れる苦しみで、「怨憎会苦」は、合いたくも無い人と会わなければならない苦しみです。

「求不得苦」は、得られない苦しみであり、良縁を欲しているのに御縁が無い事に苦しんでいる事も、これに分類しても差し支え無い事でありましょう。



人間関係の断捨離は、この中においては、特に「怨憎会苦」に関わってくることというのが、現代社会・娑婆世界の様相であるように感じます。

嫌な奴との縁を、きっぱりと断捨離してしまいたい、そのような人間関係の在り方を実現したい人も、娑婆世界に生きていると、多いのではないかと存じます。

私にも、子供の頃から常にそのような欲求と言いますか、怨憎会苦の断捨離の実現を望んでおりました。



今回は、仏教の智慧を頂いたり、仏教的な人間関係の断捨離と、実践のコツと効果について、三つにしぼって見ていく事と致します。

人間関係の断捨離実践のコツと効果1:縁を結ぶときはゆっくりと慎重に

人間関係の断捨離実践のコツと効果の一つ目は、
:縁を結ぶ時は、ゆっくり慎重に、即決即断しない
です。



現在は、特にインターネットビジネスやその業界では、即決即断、決断は早い方が良い・即刻行動という事が叫ばれています。

これは、詐欺師や我利我利亡者・多財餓鬼といった人間辞めた輩の脅し文句です。

決断が遅れた事による機会損失で脅して、こちらに冷静な判断と決断をさせない戦略です。

これに引っかかると、詐欺師や多財餓鬼・我利我利亡者と悪縁を結ぶことになりますから、努々(ゆめゆめ)警戒を怠らない事です。



そもそも御縁というのは、人間にとっては受動的である事が濃いものです。

誰とどのように出会うか、そうして御縁が結ばれていくかを、人の意思だけで完全に決める事は出来ません。

「この御縁は俺が手繰り寄せた」と、引き寄せの法則よろしく的な考え方は、傲慢であると私は考えております。



その一方で、偶然の御縁によって結ばれた縁については、人の意思である程度は濃淡なり断捨離することは出来ます。

出会いの偶然性はあるにしても、出会った人とどのような関係を築いて行くかは、人の意思も介在させることが出来ます。



その時に、良縁をむすび悪縁を結ばない実践のコツが、「縁を結ぶ時はゆっくりと慎重に」「縁を結ぶのは即決即断しない」です。



特に、インターネットでのやり取り、SNSで繋がるという場合には、慎重にゆっくりと縁のむすびを眺めるくらいが、丁度良い塩梅に思えます。

詐欺師や我利我利亡者の類いは、あなたのお金だけを狙って悪縁を結ぶことに必死ですから、即決即断を迫ってきます。

ゆっくり考える時間を奪い、即決即断を求めてくる輩は、インターネット上では特に詐欺師や我利我利亡者・多財餓鬼の類いと思うくらいが丁度良いというのが、私の経験則です。



御縁の結びは慎重に、即決即断で縁をむやみに広げていかない。

この事を念頭に置いておくだけで、悪縁を見極める力となってくれることでありましょう。
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人間関係の断捨離実践のコツと効果2:一度切った縁は振り返らず執着しない

人間関係の断捨離を実践するコツと効果の二つ目は、
:一度切った縁は、振り返らず執着しない
です。



これは、特に恋愛に関する人間関係、更に受動的な場合に知っておきたい人間関係の断捨離です。

誰かと恋愛関係にあって、何らかの事情で分かれる事になるも、人生の中では起こり得る事です。

また、親友と何らかのトラブルになったり喧嘩になって、絶交を言い渡される事もあり得ます。



これは、仏教で言うところの「愛別離苦」です。



「怨憎会苦」は、自分から縁をキッパリと断ち切る方向性でありましょうから、縁があるときに苦しいけれども、きっぱりと縁を切った後は、せいせいするという縁です。

一方の「愛別離苦」は、別れを突きつけられた側としては、縁が切れた後に辛さが残る事も多いのではないかと存じます。



この「愛別離苦」も「怨憎会苦」も、共通して縁が切れた、あるいは縁を断捨離した後に大切な事は、「切った・切れた縁を振り返らないこと」です。

一度断捨離した縁に、未練がましく執着しない事が大切であります。



一度断捨離したという縁に、いつまでもしがみついていると、精神衛生的にも好ましくありませんし、何より未練がましい奴だと、周囲にも観られます。

そうなると、「あんな未練がましいやつとは付き合いたくない」と思われて、良縁のきかっけも遠ざかります。

もっとも、そのような見方をする人と、良縁が結べるとも思えない、という意見は、確かにそうだとは思いますがね。



一度断捨離した縁は、振り返らないこと。



人間関係の断捨離を実践した後、振り返って執着しないのは、当たり前のようでなかなか出来ないからこそ、有効なコツであり、効果もありましょう。
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人間関係の断捨離実践のコツと効果3:無縁ではない事を知る

人間関係の断捨離実践のコツと効果の三つ目は、
:どんなに縁を断捨離しても、無縁ではない事を知る
ということです。



現代社会は「無縁社会」と言われる事もあり、人間関係の希薄さが取りざたされます。

無縁仏や無縁墓という言葉もあり、お墓を守する御縁のある人がおらず、墓の墓地がある程です。



しかし、無縁社会とは言いますが、完全に人は無縁で生きていると言う事は、原理的には御座いません。



例えば、引きこもってこの文章を読んで頂いて居ると仮定致しましょう。

「ああ、俺ってぼっちだなあ。」「私は引きこもっているから、誰とも会っていないから、無縁だわ・・・。」と、人間関係の断捨離をするまでも無い、と言う人も、いらっしゃるやもしれません。

また、「ぼっちは嫌!」「孤独も孤立も怖い」と思い、悪縁とわかりきっている縁も、完全孤立という無縁になりたくないからと、なかなか断捨離出来ないでいる人も、いらっしゃる気が致します。



しかし、そもそもこの文章を読まれているという事は、御縁の濃淡はあれど、この文章を投稿している私とあなたの関係性が「在る」ということです。

関係性、つまり御縁ですな、御縁がこうして御座います。



また、この文章を読まれていると言う事は、少なくとも何らかの電子機器、パーソナルコンピューターやスマートフォンなどをお持ちかと思われます。

それらの電子機器・デバイスなり端末をお持ちでしたら、基本使用料もお支払いのことかと存じます。

それらの機材や料金の事に携わっている人と、何らかの関係性、御縁があることは確かでありましょう。



何よりあなたの命は、人の歴史という繋がりが御座います、ご先祖様の御縁が繋がっており、縦の歴史による命の繋がりという関係性、御縁があるのです。

その時点で無縁ではありません。

その事を、常日頃は完全に忘れてしまっている人、多いのではありませんかね。



そして、どんなに引きこもっていようが、食べ物を頂いているからこそ、この文章を読む事が出来る程には、肉体が維持されているはずです。

その食べ物を調達するにも、なんらかの御縁があってこそです。



禅宗の食事の偈には「一つには功の多少を計り彼の来処を量る」とあります。

浄土宗の食前の言葉には「我ここに食を受く、謹んで天地の恵みと人々の労を謝し奉る」と御座います。

頂けている食事には、必ず何らかの人々の労が、つながりが、つまり「人間関係という御縁」の働きがあるのです。



ゆえに、どんなに引きこもろうが、断捨離しようが、生きている限りは原理的に無縁という事は御座いません。



人間関係の密度や、関係性・御縁の濃淡はあるでしょうけれども、完全孤立の完全無縁というのは、原理的にあり得ないことはおわかり頂けるかと存じます。



人間関係の断捨離をして、ついには孤立する可能性は、ゼロではありませんし、その後に良縁が結ばれるとは言い切れません。

生きていれば、必ず良縁と結ばれると、気安くあるかどうか分からない未来を論じるつもりも御座いません。



しかし、可能性はゼロではありませんし、その可能性にかけて、悪縁である人間関係をバッサリ断捨離して、その可能性に賭けてみるのもありではないか、そのように私は経験則から感じておる次第で御座います。



私も、心療内科のお世話になっているとき、引きこもり気味で人間不信や対人恐怖症の症状はありましたが、仏教・仏法やお坊さんとの出会いに救われた経験が御座います。

また、引きこもって対人恐怖症気味だったお陰様で、それまでの悪縁も、こちらから断捨離するまでも無く自然消滅したという御縁にも恵まれました。

人間関係の断捨離も、これまた御縁、そして原理的にどんなに悪縁となる人間関係を断捨離しても、無縁ではないという心持ちが、人間関係の断捨離における実践のコツであり、効果をもたらす基礎部分である気が致します。



尚、断捨離についての話は、こちらも参照して頂ければ幸いです。



参照:「断捨離の意味とコツを仏教から学ぶ」

参照2:「ミニマリストとシンプルライフと断捨離の関係性」

参照3:「断捨離実践のコツと効果まとめ」



また、人間関係以外にも、個々の断捨離の実践におけるコツや効果も、論じております。

参照:「断捨離の効果|仕事の身の回り編」

参照2:「断捨離のコツと効果|服」

参照3:「断捨離のコツ|ネット情報編」



合わせてお読み頂き、あなたが良き人生の歩み手となれる断捨離のコツや効果を体得される一助となれましたら、大変嬉しゅう御座います。

合掌

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