断捨離で後悔しない実践方法と仏教的思考

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

断捨離について、仕事術やコツについて、色々と話をしてきました。
269109 インターネット編では、情報の断捨離の方法やコツについて展開致しました。



でも、いざ断捨離を実践していて「しまった!あれを捨てなければ良かった!」と、後悔したことがあると言う人も、いらっしゃるかもしれません。

あなたも「捨てなければ良かった・・・。」と、断捨離したことを後悔したことってありませんか?



今回は、断捨離を実践して後悔しないための実践方法や、仏教の智慧から考え方を学ぶ話です。

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断捨離は物だけではなく「執着」や「縛り」を捨てる事でもあると心得る

断捨離とは、最近世間一般では「ミニマリストになるための方法」であったり、お金を貯めたりお金の無駄遣いを減らす方法論としても話して下さる方がいらっしゃいます。

それはそれで、確かに納得出来る理屈ですし、参考になる話ではあります。

実際にミニマリストと呼ばれる人の生活は、断捨離をしてスッキリした生活、ライフスタイルであるという人も多くいらっしゃいますからね。



その上で、私は断捨離を
:物だけではなく、己の「執着」や縛りを知る事
:その上で物欲や執着を捨てて手放す実践
と考えております



実践方法によっては、執着を手放す上に、財施(お金や物を布施する事)を賜るに至る事もあると、断捨離とは何かを学ぶ表題でお話し致しました。

参照:「断捨離とは何か?意味を仏教から学び」



人に譲ってお金を受け取る場合でも、そうでなくただ捨てるだけでも、「自分がいかに物に執着したり欲を持っていたり、縛られていたのか。」を、確認することになるのが、断捨離の実践というものです。



もっとも、それはきちんと「己の物欲という煩悩」と向き合うという事に意識的であって、始めて為される事ですがね。

「断捨離は執着や縛りを捨て去る禅的生活に入る修行」

このような意識を持って、執着や自分を縛っている物を知り、それを捨てるある種の修行であると心得て行う事が望ましい、私はそのように考えております。
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断捨離で後悔しない具体的な実践の方法:まずは小さな事から

断捨離を実際に始めるに当たって、まずは小さな断捨離から始める事を、私は提案致します。



小さな断捨離から始めるとは、具体的にはどういうことか。



私も実践した事があるのですが、あなたはメールを使われますか?

インターネット社会とも言える程に、ネット環境が整っていますし、メールは気軽で簡単に使える連絡手段ですから、やったことが無い人はあまりいないでしょう。

そもそも、このお堂(ブログ)に来て下さっている時点で、ネットの使い方はよくご存じでしょうし、メールなんてお手の物だと思います。



そのメールですが、不要なメールマガジンに登録したり、頼みもしないのに勝手に登録されているメールマガジンは、あなたもお持ちではありませんか?

また、もう連絡しないであろうメールアドレスも、スマートフォンやパソコンのメールのアドレス帳に残っていたり。



断捨離で後悔しない具体的な実践方法として、まずは
:メールマガジンやメールアドレスを捨てる
から始める、ということを、私は提案しております。



メールマガジンも連絡しないメールアドレスも、まさに断捨離するにはうってつけで、しかも簡単にできますから練習的な実践方法としてはもってこいでしょう。

それに、読まないメールマガジンや、連絡しないメールアドレスを断捨離しても、後悔する事は殆ど無いと思います。

私の場合は、スカイプの連絡先もごっそりと削除しましたが、全く後悔しておりませんし、むしろすっきりしております。



後悔しない断捨離の実践方法の一歩目として
:不要なメールアドレスやメールマガジンを捨てるところから始める
という方法がある事を、覚えて置いて欲しいところであります。


思い出のある物品は無理に断捨離しなくて良い

後悔しない練習から始める断捨離を実践した時、それでも「やっぱり断捨離しなければ良かった・・・。」と、後悔する場面が出てくる事があります。

いわゆる「思い出補正」がなされている思い出の品がある場合、思い出と、その思い出と結びついている物品にどうしても「執着心」があるものです。



そして、この思い出補正された物品が厄介で、断捨離を実践した後に後悔する事になるパターンでありがちなのが、この「思い出の品」を手放した時です。



例えば、これはアニメーション作品の話ですが「たりたり」というP.A.WORKSというところが作成した作品がありました。

登場人物の一人であるお嬢さんが、母親との思い出が詰まったピアノを処分してしまおうと「断捨離」にふみきり、実際に部屋からピアノが無くなります。

でも、父親が母親との思い出話を聞いたお嬢さんは、ピアノを断捨離したことをめちゃくちゃ後悔します。

物語では、父親がピアノを処分せずに、移動させただけで済んだから、また戻ってきたのですがね。



これはアニメーション作品内の話ですが、実際にそのような場面は現実でもあるでしょう。



断捨離で後悔しない実践方法やコツ
:思い出がくっついている物の断捨離は慎重に慎重を極める
です。



もっとも、禅的生活や仏教では「その思い出さえも刺激であり、執着を生み出す」と教えています。

「刺激や執着となる思い出、それさえも捨ててしまえ」という教えが有りまして、それが次の話に繋がります。
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断捨離で後悔しないための究極的な方法

断捨離を実践していて、思い出はそこそこあって高価なもので、でも捨てた方が良いという物に出くわした場合、どうしようか迷いに迷って途方に暮れる場合も出てくるでしょう。



そんな時、私は究極の思考方法・考え方を仏教から見出しております。

それは、
:目の前にあるものは忍土(この世)でお別れして、墓場までは持って行けない
ということです。



「どんなにお金を稼いでも、墓場に持って行けないよ。」という話を聞いた事はありませんか?

もっとも、このフレーズを人様からお金を奪うために使っている不届きな我利我利亡者な詐欺師がおるのが、私は気にくわないのですがね。

気にくわないというのは、私の瞋恚(しんに)の煩悩なのですが。



我利我利亡者な詐欺師は脇に置いて。



究極的なところ、人は物をどんなに増やしても、お金を持っても、それを墓場まで持って行くことは出来ません。

極楽浄土か地獄か、どちらに行くかは分かりませんが、忍土(この世)で手に入れた(と錯覚している)物は、この世で必然的に手放す事になります。

そもそもとして、この世で何を手に入れても、持っていられる時間はわずかなものです。

それを思うと、物や思い出に執着して、自分自身で縛り付けている事はどうなんだろうか、という考えに及びませんか?



断捨離を実践していて「これを捨てたら後悔するかな。」と、後悔に対する迷いが出た場合、このようにもっと物事を大きく捉える仏法があると思い出して欲しいものです。



そして、
「後悔さえも、最終的には忍土で手放す」
と、私は考えております。



断捨離を実践して、例え後悔したとしても、それさえも最後には手放すと思えば、少しは気が楽になりませんか?



断捨離の具体的な方法論や後悔しない実践方法は巷に溢れておりますが、断捨離で真に大切な事は、取り組む人の心構えのような気がします。

このお堂(ブログ)では、断捨離についての基本的な意味と心構え等、その元となる話をしております。

参照:「断捨離の意味とコツを仏教から学ぶ」

参照2:「断捨離のコツと効果まとめ」



こちらにまとめておりますから、合わせて活用して頂ければ、よりよい断捨離が実践出来ると思います。



合掌

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