断捨離の注意点|後悔しない云々以前の陥りやすい怖さ

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

このお堂(ブログ)では、断捨離について色々とまとめてお伝えしております。
342423 断捨離について、このお堂(ブログ)でも、具体的な方法ややり方を、場面毎にお伝えしてきており、食器や台所、仕事の断捨離など、結構多岐にわたってお伝えしております。

人間関係の断捨離についても、お伝えしましたね。

その関連として、シンプルライフなミニマリストという概念も持ちだし、程よい塩梅を見出す方法論も伝えてきました。



ただ、断捨離のやり方や具体的な方法を知りたいと思う人が、実践していく内に陥ってしまいかねないことも、私は見出しております。

今回は、断捨離の注意点と題しまして、後悔しないための方法云々それ以前の問題や、陥りやすい怖さについての宙勧告を致します。

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断捨離の注意点:断捨離が目的化してしまうこと

最初に、断捨離の注意点をお伝えする前に、まずはお詫びをさせて頂き問う御座います。

このお堂(ブログ)では、断捨離について称賛するような伝え方をしているように感じられるのは、私の表現力の無さと、伝える力が全く無いからで御座います。

私は、断捨離そのものを称賛しているわけでは無く、生きやすい、この忍土を生き抜く智慧の一つとして、紹介してきたつもりでしたが、つもりにしかなっていなかったと反省しております。



本当に、申し訳ありません。



伝統宗教、仏教の各伝統宗派は、各々がきちんと宗教的な暴走をしないための安全装置なる教義が盛り込まれており、それをきちんと伝えて続いております。

ゆえに、今回の「断捨離の注意点」は、各論は各論として伝えては来ておりますが、こうしてまとめてお伝えするのは、実は初めてではないかと思うに到りました。



本来は、もっと最初の方にすべき話でした、本当に申し訳ありませんでした、済みません。

その反省を活かして、今回の話を進めて参ります。



結論から申し上げますと、断捨離の注意点として留意すべき根本的な事柄は、
:断捨離する事それ自体が目的化してしまうこと
です。



例えば、職場の同僚なり先輩後輩なり、近しい人が断捨離をしたり、シンプルライフなミニマリスト生活を謳歌しているような話を聞いたと致しましょう。

「最近断捨離して、部屋がスッキリして過ごしやすい」と聞くと、「自分も!」と、思い立つことは、十二分にあり得る話です。



そこで、「断捨離すると気持ち良く過ごせる→断捨離しなきゃ」と、精神が動くのでは無いかと存じます。

そうなると、「部屋がスッキリして、気持ち良く過ごせる→気持ち良く過ごすための断捨離」と、自室で気持ち良く過ごすという目的が発生致します。



しかし、断捨離して、いざ気持ち良くなったり、成功したりすると、「断捨離する事そのもの」が目的化する転換が起こる事が御座います。



これは、ダイエットに置き換えると、わかりやすいかもしれません。

例えば、体が重かったり、体脂肪率が高すぎて内臓に負担がかかるという場合、ダイエットをする事になるかと存じます。

その場合、「体を軽くして過ごしやすく」「体脂肪率を低くして内臓に負担を掛けないように」という、目的のためにダイエットをすることになります。

あまりにも健康のためだけに生きるのも、仏教の中道を学んでいる者としては考え物ですが、生活に支障を来さない努力というのは、良き営みであるのは、世間知としても仏教の視点から観ても推奨される事でありましょう。

このような目的ありきのダイエットは、無理をしない範囲で営むのが宜しい塩梅であるかと思います。



しかし、現代社会では、内臓脂肪を減らしたり、健康を損なわないためのダイエットではなく、「ダイエットする事が主目的」となっている人もいらっしゃるかと存じます。



自己啓発の世界では、ありがちですね。

セミナーで何かを得て、日常生活に活かすなどの目的では無く、セミナーに行くのが目的だとか、セミナーに行ったことを自慢するのが目的とか。

インターネットビジネス業界や、自己啓発系ビジネス、自己啓発セミナー業界では、よくありがちなパターンです。



断捨離も、このような状態になっていないか、現在断捨離をされている方は、一度見直した方が宜しいでしょう。

断捨離する事だけが目的化していて、大切な事を見落としていたり、本末転倒なことになっていないか、「脚下照顧」すべきです。
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断捨離の注意点:断捨離はブームでやるもんじゃない

私も戒めなければならないことであり、また世間の風潮や、言葉にする人達にも提言したい事柄が御座います。

もしも、私も断捨離を煽っているような輩にみえたのでありましたら、申し訳ありません。



色々な本や新聞などで断捨離の特集的な記事がありますと、そこの冒頭には結構な頻度で「最近は、断捨離ブームで」なんて一文が載っております。

実は私、最近ふと考えてみたときに、「断捨離ブームと言うけれど、断捨離ってブームでやるようなものかな」と、問いを発しました。



確かに、自宅や部屋が物で溢れていて、衛生的にも生活しにくい状態でしたら、物質的な断捨離は喫緊の問題でありましょう。

逆に、部屋がきちんと片付けられていて、特に問題無く過ごせるのであれば、断捨離をする必要性もかなり薄いはずです。



しかし、世間では断捨離ブームだからと言って、無理に断捨離しようとしている人って、いらっしゃるかもしれない、という懸念が、ふと沸いてきたものです。



私の場合は、もう要らない自己啓発本を断捨離したり、あってももう使わない物を捨てたりした時期がありましたが、別に断捨離ブームだからやったわけではありません。

「私個人」が、「私の都合」で、要らないと思ったから手放した、その結果が断捨離だった、と言うだけの話です。



ごちゃごちゃ申し上げましたが、私の断捨離は実は結果論であって、「あ、あれって断捨離だった」というだけのことでしかありません。

捨て方が分からない、手放し方を迷っている、という人のための指南であったり指標が、昨今の断捨離術という見方を、私の実体験から考えるように到ったのです。



そして、それらの断捨離は個別の断捨離理由があるわけですから、無理にブームでやる物ではありません。

間違っても、「え、君は断捨離していないの?遅れてる~」なんて、そんな事を言うためにあるものでも御座いません。



もしも今、あなたが「私も断捨離しなきゃなあ。」とお考えの場合、本当に断捨離する事が必要かどうか、注意深く自己を見直すところから始めて見ては如何でしょうか。

それで、やはり部屋がごちゃごちゃしていて断捨離する必要があるならば、このお堂(ブログ)でも良いですし、他の人のブログや本でも良いですし、参考になる事を学んでから断捨離する、というのも一つの方法です。

間違っても、ブームだからとか、無理矢理断捨離するような事は、後々後悔する事にもなりますから、おやめになった方が良いだろうと言う注意点を、提言致します。
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断捨離の注意点:その裏に隠された煩悩

ここまで、断捨離についての注意点を、口を酸っぱくして申し上げていることに、断捨離の裏に隠された煩悩に、気がついたからです。

断捨離をすると、確かに物欲を離れているような感じになりますし、物に執着しないという練習にもなります。



仏教では、物欲に囚われることや、物に固執することを戒める教えがあります。

これは、物を絶対的に持つな、という事では無くて、物に囚われることがないように、という戒めです。

仏教の戒めは、禁止系の文言では無く、「~しない」という、律の文言であることも、大切にしたい教えです。

断捨離に関して言えば、物に執着しないという在り方を学べる、実践的なヨーガ(ヨガ)由来の方法と言えましょう。



ただ、そこでまた揺さぶってくると言いますか、問いを発して下さるのが、これまた仏教の特徴です。



物を持たないための断捨離をすることで、今度は「断捨離をすること」に囚われたり、「物欲を捨てる、抑える」という事に囚われる、という注意点が御座います。

言うなれば、在り方やスタンス、考え方の囚われですね。

先入観や固定観念は、概念的な囚われであり執着の典型でありましょう。

「断捨離しなきゃ」「物欲を捨てなきゃ」というのは、考え方の執着であることは、読み取って頂けるかと存じます。



禅仏教には、このような囚われを捨てる教えとして「放下着(ほうげじゃく)」という禅語が御座います。

しかし、これがなかなか。

「放下着(ほうげじゃく)」を大切にすると、今度はまた「放下着の放下着」と、ループしてしまいます。

「買ってはいけない、は買ってはいけない、は買ってはいけない・・・」と、そのような話題もありましたが、似たようなスパイラル・螺旋に陥りそうです。

「断捨離も断捨離しないきゃ、ということも断捨離しなきゃ」と、最早笑い話になりかねません。



ここで肝要な事は、「執着せず捨て去る事を念頭に、流れに任せたり自然(自然)に生きる事を大切にする」と捉えるのが、良い塩梅では無かろうかと思います。

私も、そのような塩梅でこの教えを頂いており、断捨離もほどほどに、丁度良い塩梅を模索し続けるという味わいと頂き方にて、何とかやりくりしております。



断捨離に囚われず過ぎず執着しすぎず、かといって放置せず、最初はなかなか難しいかも知れませんが、これも一つの仏道修行という塩梅でいるのも、良き智慧の一つかと存じます。

断捨離の注意点:断捨離そのものに価値があると錯覚しないこと

断捨離について、色々と注意点を述べてきましたが、ここまで言わなければならなくなった事には、断捨離や捨てる事がブームになったり、断捨離そのものに価値があると想う人が多いためであると、私は感じておることに由来します。



断捨離という方法や考え方は、確かに物を整理整頓したり、その一環で物を手放す方法論としては、私は有効であると考えております。

実際に、私もやましたひでこさんや釈徹宗さんの対談記録なり本を読んで、参考にさせて頂いたこともありますからね。



一方で、断捨離はあくまで方法や考え方の参考資料であり、断捨離そのものに価値があるとは考えておりません。

この辺り、恐山のお坊さんが、きちんと伝えて下さっていて、なるほどなあ、と思わせて頂いた事が御座います。



世間では、物質の時代とか物が豊かな社会と言う事で、そのアンチテーゼ的な提言として、断捨離が持ち上げられているような風潮を感じます。

確かに、物質に依存するような生き方は、苦を増やす事にも繋がりますから、提言そのものはわからんでもありません。



でも、今度は極端な例であったり、極端に走る人は、「断捨離そのものに価値がある」と錯覚してしまい、「断捨離依存症」という本末転倒な事態を引き起こしかねない、という懸念があります。

そうならないための智慧として、このお堂(ブログ)でもたびたびお伝えしている、仏教が説く「中道(ちゅうどう)」であったり、「良い塩梅」という考え方も共に提言しておるのです。

最も、「中道」もどこまで生きすぎないでいられるか、良い塩梅とはどの辺りの事か、と言う事は、私だって今も探りながらですから、偉そうなことは言えませんけれども。

ただ、知っておくだけでも、極端に走る危うさを緩和させる力は、あると思います。



断捨離に対して、絶対的な価値があるとか、断捨離依存症とも言えるような強迫観念を感じている人は、今回の注意点を何度か読んで頂き、ご自身の中道を探って頂ければと存じます。

そうする事で、後悔しない断捨離にも繋がりますし、そもそも論と言いますか、根本的な自己と断捨離と言う概念との関係性も、明らかになってくることでありましょう。



断捨離については、こちらでその意味や考え方、具体的な手法についてお伝えしております。

参照:「断捨離の意味とコツを仏教から学ぶ」

参照2:「断捨離の効果が活きる仕事術」

参照3:「断捨離実践のコツと効果まとめ」

今回の話と共に、復習がてら活用して頂ければ、嬉しゅう御座います。



また、個々の断捨離については、こちらでがっつりまとめております。

参照:「断捨離の効果|仕事の身の回り編」

参照2:「断捨離のコツと効果|服」

参照3:「自己啓発本を断捨離した理由」

参照4:「断捨離実践のコツと効果まとめ|個別事例編」

シンプルライフなミニマリスト生活についても、少しだけ触れましたから、こちらもご参照あれ。

参照:「ミニマリストとは断捨離の結果の在り方」

参照2:「断捨離とミニマリストとシンプルライフの関係性」

参照3:「シンプルライフなミニマリスト情報まとめ」



あなたが、断捨離の注意点を明らかにされて、良い塩梅で良き生活を営めるに到りましたら、大変嬉しゅう御座います。



合掌

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