「おざなり」と「なおざり」の意味と英語|微妙な違いの覚え方

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

あなたは「おざなり」と「なおざり」の意味を、違いも含めて解説出来るでしょうか。
388009 実は私も、その都度「あれ、どっちがどっちだったっけか」と、意味を取り違えることもしばしば御座います。

そして、その時は意味を把握するのですが、また次の機会に同じ現象に苛まれるという事で、何かよい覚え方は無いものか、と苦労したものです。

物覚えが悪い私でも、何とかならぬものであろうか、と。



そんな中、「おざなり」と「なおざり」のように、混同して間違いやすい言葉は、他言語、例えば英語にしてみるとか、言葉のそもそも論を辿って見るという仏教的なアプローチが役立ちます。

今回は、教養を積む事にもなる、「おざなり」と「なおざり」の意味を英語と共に学び、微妙な違いの覚え方と仏教用語のこぼれ話と共にお伝え致します。

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「なおざり」と「おざなり」の基本的な意味と違い

「なおざり」と「おざなり」は、現在はあまり区別されずに使っているという人も、多いかと存じます。



私はと申しますと、違いをきちんと説明出来ずに、意味や使われる場面も上手く想定出来ない事から、使わないようにしております。

ウィトゲンシュタイン氏の「語り得ないものは、沈黙しなければならない」ではありませんが、上手く使えないものを自分の力のように振る舞うのは、在り方として如何なものかと思いましてね。



そうは言っても、やはりボキャブラリー・語彙を増やしておくことは、表現力を高めて教養を積む機会も増えましょう。



そこでまずは、「おざなり」と「なおざり」の意味と微妙な違いを、おさらいしておきます。



「おざなり」は、語源辞典を開くと、
:お+座+なり(そのまま)
と、言葉の構成が記されております。

意味は、「その場を取り繕うこと、いい加減な処置」です。

この場合の「いい加減」は、丁度良い加減ではなく、雑であるということです。



一方「なおざり」は、これまた語源辞典を開きますと、二説あることがわかりました。



一つ目の説は、
:猶(やっぱりそのまま)+ぞ+あり
という構成です。

「なおもそのままにしておく、おろそかにする、いい加減にする」と言う意味で、「おざなり」と大差ない意味です、と言いますか、殆ど同じです。



二つ目の説は、
:猶(やっぱりそのまま)+さり(避り、去り)
という言葉の構成です。

意味は、「何もしないで、元のままで避けている、心が込められていない、疎かにする気持ちを表している」などです。

何もしないで避けている、というのは、とてもわかりやすい意味の解説だと感じます。



こうしてみると、このようにまとめられます。

おざなり:雑でいい加減だけど、とりあえずは間に合わせでも何か活動している
なおざり:雑でいい加減は同じだけれども、何もせずに避けて手をつけていない、活動していない



あくまでも「静」が「なおざり」で、一応は「動」があるのが「おざなり」と言ったところでしょうか。
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「なおざり」と「おざなり」を英語の意味から微妙な違いを味わうという覚え方

日本語の辞書や、語源辞典を調べて観ると、その意味の違いをどんぴしゃりでは知る事は出来ず、こちら側で少し考える必要が御座います。

それはそれで良いのですが、いちいち「あれ、どっちがどっちだったかな」となったとき、いちいち辞書を引くのも面倒だと思うのが、娑婆世界で暮らす我々の心情でありましょう。



そこで、微妙な意味の違いを、他言語からアプローチするという方法を教えて下さるのが、浄土真宗本願寺派の僧侶の大來尚順さんが、連載でもして下さっている事で御座います。

「英語でブッダ」や、「超カンタン英語で仏教がよくわかる」の智慧は、ここでも活きてきます。

この智慧を活かして、「おざなり」と「なおざり」について、違いの覚え方と解説の仕方を学んで観ましょう。



「おざなり」は、英語にすると「casual」「perfunctory」が出て来ます。

ちなみに、ATOKをお使いの方でしたら、「おざなり」で変換していくと、どちらも出て来ますから、試して頂ければわかるかと存じます。

ただ、「casual(カジュアル)」は、確かに「無頓着な」という、心が入っていない感じの意味がありますが、「何気ない、さりげない」という、何となく良い語感の意味を含んでおります。

一方の「perfunctory」は、「おざなりの、やる気の無い、いい加減な」という意味です。

どうやら、「おざなり」を英語で表現するならば、「perfunctory」が使えそうです。



「なおざり」は、英語にすると「neglect」「disregard」が使えます。

「neglect(ネグレクト)」は、カタカナ表記にすると、育児放棄の問題などを連想する、何となくくらいイメージの語感をお持ちの方も多いかと存じます。

「neglect」の意味は、「怠る、疎かにする、無視する、軽視する、忘れる」など、放置している様相が窺える意味を有する言葉です。

一方の「disregard」は、「~を無視する、軽視する」という意味で、軽視している上に無視していることを考えると、「なおざり」の英語としてはマッチ・一致するかと存じます。



英語で違いを覚えるとすると、「おざなり=perfunctory」「なおざり=disregard」が、覚えやすいかな、と私は感じるのですが、如何でしょうか。
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「なおざり」と「おざなり」を漢字変換してみるのも有効な違いの覚え方

英語で違いの覚え方を調べている時に、「なおざり」と「おざなり」について、漢字だと更に覚えやすいかも、と言う事に気がつきました。

このことを最初にお伝えしておけば良かったかも知れませんが、ここまで買いてやっと気づく事が出来たので、ご勘弁を。



「おざなり」は、漢字変換すると「お座なり」となり、「座のなり(有様)を何とか繕う」という意味が見えてきます。

「なおざり」は「等閑」と書きまして、「等しく閑か」である事が窺えて、なんとなく閑か、静的な響きの語感に思えてきます。

表意文字の力のなせる業(わざ)というのでしょうか、字面に引っ張られるという体感は、不可思議さを感じさせて頂けるもので御座います。



「お座を何とか繕う動きはあるけどやっぱり雑=おざなり(お座なり)」
「雑な心持ちで、尚且つ静かで何もしない=なおざり(等閑)」



漢字変換する方法による違いの覚え方としては、このような覚え方がわかりやすいかと存じます。
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漢字変換があるからこそたどれる言葉のさすらいや仏教用語

漢字変換から、紛らわしかったり間違えやすい言葉の覚え方を記しましたが、ここで応用出来るような話を致します。

「おざなり」と「なおざり」のように、響きにすると間違えやすい言葉は、漢字変換してみると、わかりやすくなるかと言うのは、今回の事例で体験して頂いたかと思います。



また、「おもむろに」など、平仮名表記だと間違えやすい意味の言葉も、漢字変換すると何となく掴めると言う事も、しばしば御座います。

「おもむろに」は「徐に」と書き、「徐々に」という使われ方をする漢字から「ゆっくりと」という意味を拾う事が出来ます。

お使いのソフトによりますが、変換していくことで同音異義語も見つかって、そこから派生的に教養を積む事も出来ますから、時間がある時に試されると、楽しめるかも知れません。



例えば、このお堂(ブログ)でも取り上げた「猫も杓子も」「杓子」ですが、柄杓という意味ではない「しゃくし」も御座います。

僧侶であられる方や仏教徒ならば、「しゃくし」と聞くと、「自分のことか」と思われるかも知れませんね。

「しゃくし」「釈子」とも書き、仏弟子であったり、仏教徒の事を表します。

そして、「猫も杓子も」は、「禰子(神主や神職の事)も釈子も」が言葉の由来の一説である、という言葉のそもそも論を辿る旅にも繋がります。



このお堂(ブログ)でも、たびたび仏教用語をさすらう旅をしておりますが、その一端を味わって頂けるかと存じます。

わかりにくかったり、間違えやすい平仮名言葉や音だけしか知らない言葉は、一度漢字変換してみると、言葉への理解や深い味わいを頂ける、そのように経験からも申し上げる事が出来ます。
お坊さん 黒

「なおざり」も「おざなり」も意味や覚え方は学んでおきたいが、在り方としては戒めたい

「なおざり」と「おざなり」の、それぞれの微妙に違う意味と、意味の違いの覚え方を、英語と漢字という側面から学び、味わってきました。

言葉の違いについての覚え方や学び方は、これはこれで学んでおいて損は御座いません。

ただ、折角ですから、「なおざり」と「おざなり」という言葉それ自体からも、仏教的な学び方をして、人生に活かしたいものです。



「なおざり」も「おざなり」も、どちらも共通して「雑である」という意味が御座います。

雑であると言うことは、丁寧に生きる事や、丁寧に気づいて今を生きる大切さを説く仏教の教えからは、戒めるべき事柄です。



忙しい時や、体調不良などの要因で、いきれいればどうしようも無く、「おざなり」であったり、時には「なおざり」にならざるを得ない時も御座いましょう。

しかし本来的には、仕事の上ではこのような事があってはならないのが、ビジネスという世界の現場であろうとも思います。



酷い場合ですと、お金だけ取ってあとは「おざなり」どころか「なおざり」なんてことも、最近は見かけますし、実際に私はそれをされたことが御座います。

実際に、「おざなり」どころか「なおざり」な、似非コンサルタントや自己啓発系ビジネス講師などが、暴利を貪っている現状を、目の当たりにしたことも御座います。

サービス開始前から先にお客様からお金をふんだくって、いざサービスが始まれば「おざなり」な対応で、そこからだんだん「なおざり」になっていくのが、特に現在のインターネットビジネスの世界の特徴です。

先にお金を要求してくる自称コンサルタントの類いは、ほぼこの「なおざりコンサルタント」か、百歩譲って「おざなりコンサルタント」と呼んでも差し支え有りません。



大切な事は、我々は人として、こうはならないように戒めて、「おざなり」と「なおざり」にならぬように、また為さぬように、丁寧に生きる事です。



そのための修行は、修行道場で無くても、毎朝飲む一杯の珈琲なり紅茶なりから、始める事が出来ます。

丁寧に歯を磨く、からはじめても良いでしょう。

丁寧な生活の始め方は、過去にこのお堂(ブログ)でも方法や考え方をお伝えしております。

参照:「丁寧な暮らしとは|仏教・禅の智慧に学べる生活様式」

参照2:「持たない暮らしは丁寧な暮らしで維持出来る」

参照3:「ながらスマホは丁寧な暮らしの対極|マルチタスクではなく雑な姿でしかない」

参照4:「小池龍之介さんの瞑想は丁寧な暮らしの智慧」



丁寧に生きていれば、上でお伝えしたような「おざなりかつなおざりコンサルタント」や詐欺師の類いにも、惑わされて財産を奪われにくくなる智慧にもなりましょう。



「おざなり」と「なおざり」の違いを、覚え方をしっかりと踏まえて丁寧に説明出来るようにしておく。

その上で、「おざなり」と「なおざり」な仕事をしないように、丁寧に活きていく。



このような考え方や在り方まで持っていくことが、仏教・仏法も実践している事になる、と私は頂いております。



合掌

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