有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。
あなたは、ビジネスマナーを学んだ事が御座いますか。
新入社員研修などでは、ビジネスマナーを最初の段階で叩き込むようなこともされている場面も御座いましょう。
挨拶の仕方に始まり、名刺の受け渡し方や電話の取り方など、細々とした仕事の仕方や態度、ビジネスマナーを教えられたという人もいらっしゃるのではないかとお見受け致します。
このお堂(ブログ)では、ビジネスマナーとは何かと、改めて語ることもなく、直接的にはビジネスマナーについて論じてきた事は御座いません。
しかし、色々と読み返してみると、ビジネスマナーとは何かを学ぶきっかけになったり、ビジネスマナーに応用出来る考え方や仏法とも捉えられる話も、幾つか見受けられました。
そこで今回は、あなたが「そもそもビジネスマナーとは何か」を考えるきっかけになるであろう話と、役立つと思われる話を抽出(ピックアップ)して、まとめてみることと致します。
そもそもビジネスマナーとは何か
ビジネスマナーとは何かについて、御辞儀の角度などの、個々のビジネスマナーの事よりも、まずは根本から問い直してみましょう。ビジネスマナーとは、そもそも何なのか。
改めて問われると、私はバシっと一言で答える自信は御座いません。
あなたは、「ビジネスマナーとは何じや」と問われたとき、一言でビシっと答えられるでしょうか。
ビジネスマナーとは、一言で定義を表すと「コミュニケーションの潤滑油」とか「快適に他者とビジネス・仕事をするための接し方、相手を不快にしない」といったところでしょうか。
私も、ビジネスマナーの本を読んだり、研修を受けたことが御座いまして、そのような感じで習った事も御座います。
ちなみに、私が研修を受けた某家電量販店のビジネスマナー講習は2日間ありましたが、一言で言うと「気持ち悪いレベル」でしたがね。
しかも、そのビジネスマナーを習得しているであろうはずの上司は、誰一人として出来ていませんでしたし、研修そのものが最早形骸化しているな、と感じています。
どこの研修だったかは、私と直接であって尋ねて下さったら、こっそりお伝え致します。
それはさておき。
ビジネスマナーとは、仏教・仏法で表すならば、「自利利他円満」や「布施波羅蜜」で表せそうである、私はそのように味わっております。
「自利利他円満(じりりたえんまん)」とは、自己と他者が円満であるような在り方です。
「布施波羅蜜(ふせはらみつ)」は、相手を思いやり敬う事であり、修行や彼岸に到るまでに達成すべき事柄であります。
布施には「無財の七施」という、お金が無くても出来る布施行があり、それには「愛語」「和顔施」など、ビジネスマナーにも通じる教えも御座います。
挨拶をするときに、よく「笑顔で、相手を思いやった言葉で」と、教わった人も多いかと存じます。
これはまさに「笑顔=和顔施、思いやりの言葉=愛語」であると考えても差し支えない事で御座いましょう。
そういえば、「挨拶(あいさつ)」も禅語であり、仏教由来です。
形だけのビジネスマナーではなく、ビジネスマナーとは何ぞやという根本を学び直すのに、仏教・仏法の智慧は力になってくれることが、ここでおわかり頂けたかと存じます。
仏教者となった私からお伝え出来る「ビジネスマナーとは何ぞや」という問いには、
:自利利他円満へ到るための布施波羅蜜
と、言えそうでありますが、如何でしょうか。

ビジネスマナーとは何かを学ぶ智慧1:させていただく
ビジネスマナーにおいて、言葉遣いや敬語表現など、言語に関する事を研修などで修正される時期が御座います。私は、方言混じりであったり、その人独特の表現があるというのは、なかなかに味があるとは思うのですが、ビジネスの現場ではそうはならないようです。
私は京都生まれ京都育ちで、零細企業の商売人の家で育ったと言うこともあり、独特の言い回しを子供の頃から浴びていた事があり、それがついポロっと出てくる事も御座います。
例えば、企業や会社を「~商事さん」と、さん付けで呼ぶ癖が今でも御座います。
そのような感じで、もしかしたら近江商人縁の出身者であるならば、「させていただく」という言い回しを、違和感なく使いこなされている方もいらっしゃるのではないかとお見受け致します。
「させていただく」という表現は、私も常に使っておりますし、真宗・浄土真宗のお坊さんもしょっちゅう使われているという印象が御座います。
私は、とても謙虚で奥ゆかしさがあり、阿弥陀仏の教えを大切に受け継ぐ人々による、美しい言葉遣いだと頂いております。
しかし、世間ではこれが「へりくだりすぎている」とか、慇懃無礼であると感じる人もいらっしゃるようで、企業によっては修正の対象になるやもしれません。
正しい使い方や、間違った使い方というのは、国語辞典的にはありますからね。
参照1:「させていただく症候群と正しい敬語についての話」
参照2:「「させていただく」の使い方|正しいか間違いか」
私は、「させていただく」という精神性は大切にしながらも、「郷に入っては郷に従え」という事で、形の上では世間の有り様も身につけておくこと、と言うのが良い塩梅かな、と思うております。
世間知は世間知で習得しておき、仏法によって照らす機会も頂く、これがビジネスマナーを習得する時の良き心構えであると、私は頂いております。
ビジネスマナーとは何かを学ぶ智慧2:慇懃無礼と無礼講
上で、慇懃無礼という言葉を用いたので、この事についても触れておきましょう。慇懃無礼とは何か、その事については、このお堂(ブログ)でも、一度お伝えしております。
参照:「慇懃無礼の意味」
慇懃無礼とは何か、軽く復習しておきますと、「丁寧過ぎて、それが嫌味に感じられ、かえって失礼なこと」という意味です。
また、「表向きは丁寧であるが、内側は尊大であること」という意味も御座います。
これについては、浄土真宗本願寺派のお坊さんから、興味深いお話しを頂きました。
ある浄土真宗のお坊さんは、CTスキャンなどの医療器具にかけられるのは結構だが、根性がスキャンされる医療器具にはかかりたくない、と仰ったそうです。
それは、外側をいくら繕っても、根性を観られる事、本音を晒されるのはやっぱり嫌だと感じる、とのことです。
これは、どこまで行っても煩悩から逃れられない、自己を調えようとしても調えきれないという内省の教えがある真宗・浄土真宗のお坊さんらしい話だと感じたものであります。
このことからも、中身の伴わない敬語やビジネスマナーは、慇懃無礼の典型と言えましょう。
相手に「こいつは慇懃無礼な奴だ」と思われぬために、やはりビジネスマナーとは何か、その根本から学び直し、改めていくことが大切であると、気づかせて頂ける事であります。
また、無礼と言えば、飲み会や接待の席で良く言われる言葉「無礼講」も、注意すべき事柄であります。
参照:「無礼講の意味を学び本当に無礼にならぬ智慧」
無礼講で無礼にならぬように、行き過ぎないように戒める智慧も、学んでおきたいところです。
無礼講こそビジネスマナーを学び実践する機会として捉えるのも、仏道を歩む一つの形かな、なんて思う私であったり致します。

ビジネスマナーとは何かを学ぶ智慧3:高揚感・高揚した状態を戒める
ビジネスマナーを身につけて、自己を調えられてきたと思うようになってきたとき、ふとしたきっかけや油断によって、それが全て壊れてしまう可能性も、生きていれば起こり得るものです。その一つのきっかけが「高揚感を覚えたとき」や「高揚している状態」に達したときです。
参照:「高揚感の意味と使い方の例文から学ぶべきこと」
参照2:「高揚の意味と毒されぬ智慧」
参照3:「意識の高揚を図る意味という言葉」
人という生き物は、快楽側の刺激や興奮する燃料が投下された場合、高揚感を覚えたり、高揚する状態に達します。
そうなると、冷静さを失って、場合によっては身につけたビジネスマナーとは真逆の振る舞いをしてしまい、相手に失礼な事をしでかしかねません。
典型的なのが、上でお伝えした無礼講が許されているとされる場に出くわしたところでありましょうか。
アルコール飲料が体内に入ったときなどは、特に注意が必要です、容易に昂ぶる状態であったり、高揚した状態に陥りますからね。
己の高揚感はどのような状態かを見極め、高揚したときも直ぐに冷静に戻れる訓練をして置く事は、ビジネスマナーを活用する上でも、大切な事であろうと私は頂いております。
高揚すること、高揚感を覚える事自体は悪ではありません。
問題はそれらに支配されて、自己が調わなくなり、周囲に迷惑な話を展開してしまう事です。
高揚した状態に支配されぬ智慧も、ビジネスマナーを身につけて調った振る舞いをする智慧である、私はそのように思うております。
ビジネスマナーとは何かを学ぶ智慧4:人の話を聞く事について
ビジネスの現場、商談やお客様の課題解決など個々の現場で問われる事が、「人の話を真摯かつ丁寧に聞く事」です。これは、ビジネスマナーの研修でも言われる事もあるでしょうし、そもそもとして人が働く、仕事をする上では外せない事柄に御座います。
しかし、これは私への戒めでもありますが、人は人の話を聞いているようで、さっぱり聞いていないという事もしばしばある、と感じる事があるかと存じます。
ビジネスマナーの研修などでは、「お客様の顔を見て話を聞く、話す」とか「時計をちらちらみない」とか、そのように教わることも御座いましょう。
しかし、顔が相手を見ていても、意識が明後日の方向を向いていることも、よくある事では無いかと存じます。
仏教、とりわけ浄土教・浄土真宗においては、「聞く」という事を凄く大切に説いて下さっています。
参照:「聞く力|傾聴と聴聞」
参照2:「聞き上手になるには特徴とコツを学ぶべし」
参照3:「人の話を聞く仕事と資格を活かした3つの職業」
聞く事を仏教から学ぶ時、私は「八正道(はっしょうどう)」を考えます。
元々「八正道」は、苦を滅して悟る道筋ではあるのですが、このビジネスマナーにおいても、この考え方を応用して頂く事は出来ます。
あくまで、私個別の、勝手な解釈や色眼鏡による応用の仕方である事は、ここでお断りしておきます。
八正道の最初は「正見(しょうけん)」と言いまして、正しく観る、という事です。
この反対が「邪見(じゃけん)」で、正しく観る事が出来ていない、己のフィルターなり色眼鏡で物事を見てしまっていることを表します。
この「正見」をヒントにすれば、人の話を聞くと言う事は「正聞(しょうもん)」と言えましょうか。
その前の段階で、己の意思で耳を傾けて真摯に聴く「傾聴」がありますから、「正聴(しょうちょう)」があります。
そして、その二つをあわせて「聴聞」ですから「正聴聞」と表現する事が出来ます。
しかし、ビジネスの現場で、この「正聴聞」が出来ている人は、どれだけいらっしゃるでしょうか。
自分の利益ばかり追求したり、売れれば良いと思ったり、要するに自分都合で物事を運ぶために、聴くどころではなく、こちらから話しまくって「聴かせている」状態になっていないでしょうか。
そんな状態では、折角、相手の話を聞くマナーなり、傾聴に関するビジネスマナーを学んでいても、全く力になっておりません。
酷いのは、お客様からお金を取ることばかり考えて、相手の意見や言葉を都合良くねじ曲げるような事をしている輩です。
いわゆる、ネットビジネス系とか、詐欺コンサルタントなり高額塾、自己啓発系ビジネス講師の類いが、それをやらかしています。
はっきりいって、あれらは人の話を聞いてはおりませんからね、ビジネスマナーもあったもんじゃありません。
そもそも人ではありませんから、ビジネスマナーや円滑な人間関係の構築出来ない憐れかつ愚かな存在ではありますが。
そのような、憐れで愚かな存在にならぬために、「人の話を聞く事」を、大切にしたいものであります。
ビジネスマナー研修で、人の話を聞くというカリキュラムが組まれているならば、徹底してみるのも良いでしょう。
そもそもとして、「ビジネスマナーとはなんぞや」を、根本から見直し、相手を思いやり敬う心が育っていれば、傾聴力も備わってくるとは思います。
ビジネスマナーとは、相手と自己の関係を円滑にする事、この趣旨から外れないように戒め、日々改めたいものであります。
合掌