仏教用語と仏教的な言葉まとめ|8回目

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

現代、日常語として使われている言葉には、仏教用語であったり、調べて観たら実は仏教由来の言葉であった、という事がしばしば御座います。
561189 言葉の由来を辿ると言う事は、言語学的にも意味がある事であり、普段何気なく使っている言葉を辿る事で、「当たり前を問う」という事も身につきます。

当たり前を問う力が身につくと言う事は、教養を積んだり、見識を深める力になる事柄で御座います。

私も、日常語から仏教用語を学んだり、仏教的な学びを頂きながら、言葉の変遷やさすらいを辿って行くことで、色々な事を知る御縁を頂いております。

今回も、仏教用語や仏教的な言葉を幾つかこちらにまとめておきます。

もしかしたら、この中から、誰かに伝えたくなるような知的好奇心を揺さぶられる仏教用語に、出会われる御縁となる言葉に、出会われるやもしれません。

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仏教用語や仏教的な言葉のまとめ8の1:徹底

仏教用語や仏教的な学びのある言葉のまとめ8の一つ目は、
:徹底(てってい)
です。

参照:「徹底の意味と「徹底すること」の難しさ」



徹底というと、「徹底的にやる」など、そのように使われる言葉であり、現代社会では日常的に使われる言葉として、定着しているのではないかと思われます。

徹底の意味は、「首尾一貫してやり遂げる、集中的に行う、完璧にする、万遍なく」など、良い意味や文脈で使われる言葉です。



この徹底という言葉も仏教用語であり、意味は「底に徹する」と、まあ、そのまんまです。

仏教用語としての出典は、「大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)」に出てくる話で、川を渡る象の渡り方を表している言葉です。

象は、川を渡るときに、足の裏を底に付けて、しっかりと一歩一歩進みます。

足の裏が、しっかりと底に徹していることから、「徹底」という言葉となりました。



私はこのことから、確かに現代の言葉としてさすらった「集中する、三昧、しっかりとやる」という意味を頂ながらも、その根底となる「地に足を付ける」という味わいも頂いております。

浮き足立たずに、しっかりと地に足を付けているからこそ、集通したり三昧になれたり、しっかりとすることも出来ましょう。

「徹底」の意味は、その底には「地に足を付けている状態」という事を、意識しておきたいものであると思うのですが、如何でしょうか。

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仏教用語や仏教的な言葉のまとめ8の2:他力本願

仏教用語や仏教的な学びのある言葉のまとめ8の2は、
:他力本願(たりきほんがん)
です。

参照:「他力本願の意味と本願力」



他力本願、または本願他力とは、現代ではよく誤解されて使われたり、全くもって明後日の方向にさすらった仏教用語の一つでありましょう。

そして、本来の意味が全く失われてしまっていたり、本来の意味を知らないと言う人も多いであろう仏教用語の代表格に思えます。



他力本願とは、現代では「他人任せ」という意味で、用いられる事も御座います。

某アナウンサーが、野球の試合で優勝争いの時などに、そのような使い方をしたというのが発端である、という話も聞いたことが御座います。

確かに、字面だけを観ると、他人の力に任せたり、運に願うしかない、という意味にも、捉えられるのも無理も御座いません。

その字面ゆえに、このようなさすらい方をしたのでありましょう。



他力本願とは、浄土仏教を学んだり、勤行をするような人でしたら、その意味もきちんと理解されていて、使い方も現代的ではないかと存じます。



他力本願とは、阿弥陀如来の本願力の事です。

真宗・浄土真宗が大切にされている「教行信証」には、
:他力というは、如来の本願力なり
と記されております。

「他力本願」と記すよりも、「本願力」とすれば、さすらい方も違っていたやも知れません。

もしも、真宗門徒や浄土仏教を学んでいる人に、他人の力に任せて良い方向に行くことを願っていること、という意味で、「他力本願」を使っても、首をかしげられるかもしれない、なんてことを考えております。
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まあ、文脈で読み取っては頂けるかとは存じますがね。

仏教用語や仏教的な言葉のまとめ8の3:敬老

仏教用語や仏教的な学びのある言葉のまとめ8の三つ目は、
:敬老(けいろう)
です。

参照:「敬老の日のメッセージ|2016年版」



敬老と言えば、現代でしたら「敬老の日」を、真っ先に思い浮かべる言葉ではないかと存じます。

敬老自体は、仏教用語ではありませんし、どちらかというと、年長者を敬う教えがある儒教的な響きのある言葉と捉えている方もいらっしゃるやも知れません。



「老」という字は仏教においても用いられている言葉です。

例えば、「長老」という言葉がありますが、仏教においては出家した僧侶において、智慧があって徳の高い人の事を表します。



また、長老というと、老人をイメージする人がいますけれども、単に年を重ねているだけでは、長老とは言いません。

その事は、原始仏典の「ダンマパダ」に書かれている一節でも、読み取る事が出来ます。

ダンマパダ260と261には、「ただ年をとった人は、空しく老いている人」とあります。

長老とは、「誠、徳、慈しみがあり、自己を調えて汚れを除き、気をつけている人」の事を言います。

なんとも手厳しいと思われるかも知れませんが、現代社会を見渡していても、長老と呼べるご老人と、そうでない人って、何となく感じ取れるのではなかろうか、と思います。

例えば、何十年も法話を聞いているのに、人様をお前呼ばわりして偉そうにしていたり、「若い人は自分から動こうとしないんですわ」と言いながら、年を取っても動いている自分が偉いと勘違いして自己顕示欲全開な姿は、空しく老いた典型的な例でありましょう。

全くもって、自己を調えられているとは思えません、こういう輩が、嫌老と呼ばれる社会を自ら作ってしまっているとお見受け致します。



敬老される長老と呼ばれるような人は、「閑古錐(かんこすい)」という禅語にある様な、そんな姿が理想的かもしれません。

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仏教用語や仏教的な言葉のまとめ8の4:目標・目標設定

仏教用語や仏教的な学びのある言葉のまとめ8の四つ目は、
:目標・目標設定
です。

参照:「目標設定の危険な罠」

参照2:「目標設定の意味と、する理由」

参照3:「目標達成しても傲慢にならないために」



現代社会において、特にビジネスパーソンにとっては、目標設定が大切だ、と洗脳されてきた人も多いのではないかと存じ上げます。

自己啓発系ビジネスや、引き寄せの法則を洗脳してくる輩、インターネットビジネス関連の詐欺師も、大好きな言葉ですね、目標設定と目標達成というのは。

中には、「今月の目標記事数」「今月の目標金額」など、無理矢理設定させてくる輩もおります。

これがいかに危険な事かも知らずに。



引き寄せの法則が大好きな人など、目標を紙に書いたりコルクボードに貼り付けて目標設定をして、目標達成までに強く念じていらっしゃる事でありましょう。

それで成功したり目標達成したら、世の中全員目標達成しているでしょうに。

参照:「引き寄せの法則とは鵜呑みにするのは危険な理由」

参照2:「引き寄せの法則の体験談に観る傲慢」

参照3:「引き寄せの法則まとめ|仏教の智慧」



目標設定をする事により、目標に向かって邁進していくことは、確かに私も否定致しません。

目標があるからこそ踏ん張れる、という事も有りましょうし、一定の道標の大切さは、私も理解しております。



ただ、現代社会では、特に自己啓発市場においては、目標目標言い過ぎだ、という風潮を感じます。



確かに、目的意識を持つことは大切ではありましょうが、その度が過ぎていると、私には感じられるのです。

そして、生真面目な人は、その設定した目標に縛られてしまい、最悪の場合はうつ病などの精神に病を抱える自体にもなりかねません。

かつての私も、そのような怖さを知るにいたる状態に陥りました。



目標設定をすることは、私も否定致しません。

しかし、そこには柔軟性や、自分の力ではどうしようもない御縁の働きやお導きなど、色々な要素がある事も、認識しておかないと、大変な事になります。

全てが全て、自分都合で事が運ぶと思ったら、大間違いです。



よしんば目標達成が為されたとしても、そこで「目標設定をして頑張った自分が引き寄せた法則だ」なんて錯覚したり勘違いするのは、更に危険です。

酷い場合には、そこから詐欺師になったり我利我利亡者になってしまいますからね。

実際に、我利我利亡者な詐欺師になった事例を、私は何度か目撃しております。



目標設定をすることは、時には大切な事ではありますが、そこには適切な距離感と謙虚さも、同時に持ち合わせておくことが肝要です。

そのためにも、まずは「そもそも目標とはなんぞや」という、仏教的な問いを自己にかけておき、要所要所で己を問う事を忘れない事です。

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仏教用語や仏教的な言葉のまとめ8の5:宿坊

仏教用語や仏教的な学びのある言葉のまとめ8の五つ目は、
:宿坊(しゅくぼう)
です。

参照:「宿坊|京都と朝のお勤め編」



宿坊と言えば、現在はお寺の敷地内にあったり、お寺が管理している宿泊施設という認識がなされているかと存じます。

宿坊の意味は、「僧侶や参拝者のための宿泊施設」です。

昔は、僧侶だけが宿泊する施設ではありましたが、時代を経るにしたがって、参拝者も宿泊出来るようになりました。

そのような流れもあり、僧侶だけが宿泊出来る施設の事を「僧坊(そうぼう)」という呼び名で分類される事も御座います。

現在は、参拝者だけではなくて、観光客も宿泊出来るようになり、お寺で泊まれる場所や施設、という認識で広まっているように感じます。

京都にも、大きめの寺院では宿坊が完備されており、ホテルさながらの風貌という宿坊も増えたものです。



また、宿坊の魅力としては、宿坊のあるお寺では朝勤行に参加させて頂けるところも御座います。

お寺の直ぐ近くだから朝の勤行にも参加しやすく、仏教・仏法に触れる良い機会であろうかと存じます。

観光名所巡りのために宿坊を利用されるのも結構ですが、宿坊に宿泊されるのであれば、勤行・朝のお勤めにも参加されてみては如何でしょう、と提案してみる次第であります。

もちろん、無理強いはしませんがね。



今回の仏教用語以外にも、仏教用語を幾つかまとめて学びたい方には、こちらもご用意しております。

参照:「仏教用語と仏教的な言葉まとめ|一回目」

参照2:「仏教用語と仏教的な言葉まとめ|7回目」

参照3:「仏教用語と仏教的な言葉まとめ|仕事編」

参照4:「仏教用語と仏教的な言葉まとめ|人間関係編」



教養を積む一助となりましたら、嬉しく思う今日この頃に御座います。



合掌

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