仏教用語と仏教的な言葉まとめ|5回目

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

このお堂(ブログ)では、しばしば仏教用語や、仏教的な味わいのある言葉、また仏教・仏法を学べる言葉の数々をお伝えしております。
360349 色々な仏教用語をまとめて、起点となる地点を設置してはや5回目、個別的にまとめた場所を含めたら、結構な数となってきた印象を持っております。

現在は、禅語を集めた本も沢山出版されておりますし、仏教を学べる本、仏教用語を調べることが出来る辞書的な本も増えて参りました。

このお堂(ブログ)でお伝えしてきた仏教用語や仏教的な味わいのある言葉、また今回のようなまとめたページを機縁として、仏法に触れて頂けましたら、嬉しゅう御座います。

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仏教用語と仏教的な言葉まとめ5の1:餓鬼と餓鬼道

仏教用語や、仏教的な味わいのある言葉のまとめ5の一つ目は、
:餓鬼(がき)と餓鬼道(がきどう)
です。

参照:「餓鬼の意味と餓鬼道」



「ガキ」という音だけ聞くと、「このクソガキが」というような、子供に対する侮蔑的な言葉として、使われる印象のある言葉ではないかとお見受け致します。

私も、このような言われ方をして育ちまして、あまりよろしい印象を持っておらん言葉であったり致します。



餓鬼とは、「餓鬼道(がきどう)」に堕ちた者が、食べ物を食べようとしても食べられず、全身は痩せているが腹部だけぷっくり膨満している姿で描かれており、場合によっては妖怪の類いとして紹介されることもあります。

私が子供の頃も、餓鬼の姿が妖怪辞典の類いの本に書かれていたことを、覚えております。



「餓鬼道」というのは、六道輪廻における「三悪道(さんまくどう)」または「三悪趣(さんまくしゅ)」の一つであり、迷いと煩悩の世界の一つです。



現代社会では、この餓鬼道に入り浸っている餓鬼共が、ウヨウヨと彷徨っている状態です。

特に、インターネットの世界では、「インターネットビジネス」を教えていると宣っている輩に観られる特徴です。

あのような輩の発信している情報を、観る人が観れば、餓鬼道ないし三悪道の者か、一目でわかります。

ちなみに私は、餓鬼道か畜生道か地獄道に堕ちた地獄餓鬼畜生の亡者であるかどうか、という事と同時に、ある概念的な詐欺をしているかどうかを、一発で見付けるに到りました。



お金ばっかり追いかけている餓鬼共は、大体が一応はある程度のお金を手にしていると自慢していることから、「有財餓鬼・多財餓鬼」の類いです。

餓鬼は、己の欲望を満たすこと以外、頭に御座いませんから、自己を省みる能力が無いことも特徴であり、憐れですら御座います。

頭の中も知性も品性もガリガリにやせ細っている、という意味と、我欲しか無いという意味から「我利我利亡者」とも言います。



我々「人」は、我利我利亡者にならぬための反面教師として、遠くから眺めて自己を調える材料として頂くのが、良い塩梅かと存じます。



餓鬼の話の出所や由来は、「盂蘭盆会」について学ぶ事で、知る事が出来ます。

参照:「お盆とは何か?意味を盂蘭盆経から学ぶ」

参照2:「お盆情報まとめ」



お盆の時期は、お墓参りやお仏壇を調えるだけではなく、自分が餓鬼道に堕ちていないか、餓鬼になっていないかを顧みる機会とするのが、よい過ごし方ではないかと思います。

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仏教用語と仏教的な言葉まとめ5の2:もったいない

仏教用語や、仏教的な味わいのある言葉のまとめ5の二つ目は、
:もったいない(勿体ない)
です。

参照:「もったいないの意味と精神性」

参照2:「もったいないおばけともったいないばあさんの有り難さ」



「もったいない」という言葉は、私と同世代の人でしたら、「もったいないおばけ」のテレビCMで知った、という人もいらっしゃるやもしれません。

「もったいないおばけ」について、私よりも2つ年下の人は、全く知らなかったという事を体験した事があるのですが、世代によって知っているか知らないか、という事になるのでしょうかね。



「もったいない」とは、「物体」とかいて「もったい」と読み、「その物が持つ本来のあるべき様、物としての体(てい)を成しておらず、台無しにしている」という意味です。

華厳宗のお坊さんである明恵上人の御言葉をお借りすれば「あるべきよう」ではない、ということです。



「もったいない」という言葉と有り様に、私は「奥ゆかしさ」「謙虚さ」の味わいを頂いております。

大量消費社会とも言われている現代社会においては、「もったいない精神」を大切に意識して生きている人は、どれだけいらっしゃるでしょう。

私も、「もったいない」を忘れてしまう事がしばしばあり、その事に気づかせて頂くたびに、内省させて頂く次第で御座います。



このことは、「餓鬼と餓鬼道」の項目でもお伝えしましたことと繋がります。

特に餓鬼道に堕ちてしまっていたり、餓鬼に成り下がっておりますと、「もったいない」とは真逆の在り方で突き進んでしまい兼ねません。



「物体のあるべきよう」をきちんと考え、「もったいない精神」を問い直す事が、現代社会で大切な事柄ではないか、そのように思うところに御座います。
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仏教用語と仏教的な言葉まとめ5の3:傾聴と聴聞

仏教用語や、仏教的な味わいのある言葉のまとめ5の三つ目は、
:傾聴(けいちょう)と聴聞(ちょうもん)
です。

参照:「聞く力|傾聴と聴聞」



現在は、人の話を聞く事の大切さを説く自己啓発本やビジネス書の類いが、本屋に行けば沢山見つける事が出来ます。

ベストセラーにもなっている本もあり、阿川佐和子さんの「聞く力」は、有名なベストセラーではないかとお見受け致します。

有名所で言えば、斎藤孝教授も、聞く力や傾聴に関する本を、幾つも出版されて有名な人であるという印象を持っております。

斎藤孝教授の本で、仏教的な味わいがある本と言えば、私は「意識の量を増やせ」を思い出します。

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日常の現場で意識の量を増やす訓練をしておく事は、マインドフルネス瞑想に繋がる概念を学び養うことが出来ます。

マインドフルネス瞑想そのものを学べる本ではありませんけれども、意識の量を増やすという概念を知っておくだけでも、物事に気づく力を養う一助となりましょう。



現代社会で「聞く力と言うと、最近でしたら「傾聴力」という力が、注目されています。

なんでもかんでも「力」と付ければ良いというわけではありませんが、注目はされているようです。

マスター・ヨーダの「フォースを使えー」に影響されているのでしょうかね。

「力」についてはともかく、「傾聴」という概念は、人の話を聞くという事に関して言えば、大切であるのは私も頷いております。

人の話をしっかり聞く事は、まず傾聴有りき、というのは頷ける話です。



私は、人の話を聞く時、聞く力を養う際に大切にしている概念に、「傾聴」の他に「聴聞(ちょうもん)」が御座います。

「聴聞」は、特に真宗・浄土真宗のお坊さんが、よく使われる言葉です。



真宗・浄土真宗では、「聞く」と「聴く」の両方が大切であると説いて下さるお坊さんもいらっしゃいます。

「聴く」は、こちらから耳を傾ける、「傾聴」の事であり、これはこれで大切です。

「聴聞」の字を観て頂ければ分かる通り、どうしてもまずは「自分からしっかりと相手の話を聴きに行く」という事を説いています。

一方の「聞く」は、「聞こえてくる」という意味があり、「聴は行く」「聞は来る」という方便で、「聴聞」を解説して下さるお坊さんから、私はこのように教わっております。



まずは、自分の意思でしっかりと傾聴して「聴く」。

そこから、相手の声なき声も、聞こえてくる事もしっかりと「聞く」。

人の話を聞く際には、傾聴力も大切ではありますが、「聴聞」という概念も覚えて置くことで、聞き上手になる一助となるのではないか、私はそのような味わいを頂いております。

参照:「聞き上手になるには特徴とコツを学ぶべし」

参照2:「人の話を聞く大切さと仏法」

参照3:「人の話を聞く訓練の基礎」

参照4:「人の話を聞く関連まとめ|聞く力を養うために」

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仏教用語と仏教的な言葉まとめ5の4:お彼岸

仏教用語や、仏教的な味わいのある言葉のまとめ5の四つ目は、
:縁起物(えんぎもの)
です。

参照:「縁起物あれこれ|動物と達磨の置物」

参照2:「縁起のいい日と言うけれど」



「縁起物」もそうですし、「縁起が良い日、縁起が悪い日」も、「縁起:因縁生起」という仏教が説く基本的な事柄の言葉が、随分とさすらった先に行き着いた概念であるなあ、と、感じます。



縁起物と言えば、例えば会社・企業の建物に入ったときに、狸の置物や招き猫の置物を目撃することがありますが、あれも縁起物の一つです。

あの置物は、直立二足歩行の姿で造られており、何となく擬人化されている機が致します。

狸や招き猫は、商売に関連する縁起物の代表例でありましょう。



最近では、キャラクター物の縁起物もあり、なかなかに可愛らしいものがあったりするものです。

私が住まわせて頂いる京都の神社「京都大神宮」では、可愛らしい巫女さんのイラストのお守りやら絵馬などがあり、「萌え+縁起物=萌縁起物(もえんぎもの)」か何かか、と観たものです。



私は、飾り物や日暮らしのアクセントとして、あのような縁起物と呼ばれる物を持つ分には、良いも悪いも無く、問題無いと考えております。

問題なのは、「縁起物に依存しすぎて浮き足立つ事」です。



そもそもとして、「縁起(えんぎ)」は、縁の起こりの事を言い表す仏法であり、「因縁果」という仏教の基本的な教えです。

縁起物と御縁があって、家に飾ってホッとするくらいならば、微笑ましくてよい距離感でありましょう。

しかし、そこからことある毎に「この縁起物があるおかげで商売繁盛だ」とか「この縁起物のせいで、不幸になった」と、縁起物に縛られるのは、考えものです。



縁起物は、ちょっとした部屋や建物、また日暮らし・生活のアクセントであり、それに縛られない事、それこそ「縁起物に縁を縛られない事」とするのが、良い塩梅である、私はそのように味わい、頂いております。

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仏教用語と仏教的な言葉まとめ5の5:彼岸

仏教用語や、仏教的な味わいのある言葉のまとめ5の五つ目は、
:彼岸(ひがん)
です。

参照:「お彼岸の意味と仏教」

参照2:「お彼岸の墓参りとお供えのおはぎ」



「彼岸・お彼岸」と言えば、現在は秋分の日と春分の日を中日とし、その前後を合わせて7日間の事である、と理解している人が多いかと存じます。



「彼岸」とは、「到彼岸」の事でありまして、「悟る事、悟りの世界に到る事」という意味です。

浄土仏教においては、「浄土に到る」という意味や味わいを頂ける言葉です。

「彼岸」と対になるのが「此岸」であり、私の名前が「此岸真観」ですけれども、この名前とも関連がある仏教用語の項目で御座います。



良い機会ですから、この名前の由来を申し上げますと、
「此岸で真を観ようとするが観る事が叶わない此岸に生きる煩悩具足・罪悪深重の凡夫」
と言う意味を込めて、この名前(ハンドルネーム)を頂き背負い続け、共に歩んでおります。

私は、八正道の一つ目「正見(しょうけん)」も出来ぬゆえに、真(まこと)を観る事は、とてもではありませんが叶いません。



閑話休題・話を「彼岸・お彼岸」に戻しまして。



「彼岸」とは、現在は上でお伝えしました通り、「お彼岸にはお墓参りを」という連想・イメージで覚えているという人も多いかと存じます。

そこで、お彼岸の季節には、彼岸という概念を仏教的に味わう方法が御座います。

その一つとして、「二河白道」の絵を、以前の記事で紹介させて頂いております。



現在、「水木しげるさんの二河白道」が、東京の浄土真宗本願寺派のお寺「覚證寺(かくしょうじ)」に御座います。

東京にお住まいの方ならば、観に行く事は出来ましょう。

他府県の人でしたら、生で鑑賞するのは難しいでしょうが、現在はインターネットで画像検索すれば、どういう物かは観る事が出来ます。



お彼岸には、これらの絵を味わう事で、仏教用語としての「彼岸・お彼岸」を、味わえるのではないか、そのように思うところで御座います。



その他の仏教用語は、こちらにまとめて御座います。

参照:「仏教用語と仏教的な言葉まとめ|一回目」

参照2:「仏教用語と仏教的な言葉まとめ|4回目」



各々テーマ別にした仏教用語は、こちらにも御座います。

参照:「仏教用語と仏教的な言葉まとめ|仕事編」

参照2:「仏教用語と仏教的な言葉まとめ|人間関係編」



仏教用語への理解を深めたり、仏教・仏法に触れる機会にして頂けましたら、嬉しく思います今日この頃であります。



合掌

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