仏教用語と仏教的な言葉まとめ|3回目

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

仏教用語や仏教的な言葉をまとめた企画も、三回目となりました。
257413 人間関係編や仕事編と題したまとめ企画を入れれば、3回以上やらせて頂いてはおるのですがね。



私は、仏教とは禅語を通して再開致しまして、そこから色々と仏教・仏法を学び、お坊さんの御法話も聴聞させて頂くに到りました。

そうして仏教・仏法を頂き続けていく過程で、実は仏教用語・仏教語であったという言葉とも、沢山であってきたものです。



今回も、日常的に使われているこの言葉は、実は仏教用語であったり、仏教的な学びであったり味わいのある言葉について、まとめて行く事と致します。

いつものように、ここをつがいにして、仏教・仏法に触れたり、言葉を学び教養を付ける一助として頂ければ嬉しゅう御座います。

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仏教用語と仏教的な言葉まとめ3の1:断捨離

仏教用語と仏教的な言葉まとめ三回目の一つ目は、
:断捨離(だんしゃり)
です。

参照:「断捨離実践のコツと効果まとめ」



断捨離とは、やましたひでこさんが本で発表された言葉であり、厳密には仏教用語とは言えません。

ただ、断捨離とはヨーガ(ヨガ)の「断行・捨行・離行」という行法を元にした言葉であり、の思想なり在り方には仏教、とりわけ禅にも通じるところが御座います。



「離行」は、物への執着から離れる事であり、禅語「放下着(ほうげじゃく)」に通じる思想を味わえます。

最も禅仏教では、その「離行」への執着心も生まれる事を想定している人の性(さが・もちまえ)も見越しているのでしょう。

「捨てる事さえも捨ててしまえ!」という、執着から離れる事を強烈に説いている、という印象を味わい頂いております。



断捨離の意味は、その思想や在り方から、ミニマリストやシンプルライフと混同されることが御座います。

それはそれでわからんでもありませんし、共通する考え方もあるでしょうが、やましたひでこさんご自身は、ミニマリストと断捨離は違うと本でおっしゃっています。

断捨離とは違えど、共通する事も御座いますし、ミニマリストやシンプルライフと言う概念も学んでおくのもよろしいかと存じます。

参照:「シンプルライフなミニマリストの持ち物|食器編」

参照2:「ミニマリストとは断捨離の結果の在り方」

参照3:「シンプルライフなミニマリスト情報まとめ」



断捨離については、このお堂(ブログ)でも、具体例を示しております。

いざ断捨離をば、と思われる方は、言葉の意味や思想の理解と共に、具体例を参考にして頂ければ、スムーズになるのではないかと思います。

参照:「断捨離の意味とコツを仏教から学ぶ」

参照2:「断捨離の効果|仕事の身の回り編」

参照3:「断捨離のコツと効果|服」

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仏教用語と仏教的な言葉まとめ3の2:蓮・蓮華

仏教用語と仏教的な言葉まとめ三回目の二つ目は、
:蓮(はす)・蓮華(れんげ)
です。

参照:「蓮の花言葉の意味と仏教用語」



蓮の花、蓮華は、仏教においては大切にされている花で、娑婆世界に生きる人の在り方や、佇まいを表す花として説かれる事が御座います。

このことを「泥中蓮華(泥中蓮花)」と言って、次のように説かれます。



蓮は、泥の中から咲く花であり、泥を欲望であったり煩悩であったり、このましくないこの世の状態の例えとして用いられます。

そして、その泥の中にありながら、泥に染まらずに美しく咲く蓮・蓮華を、理想的な人の在り方や生き方になぞらえた例え話もなされます。

泥を養分として、この世の苦や悲しみと言ったマイナスに思える事を生きる糧として、凜と逞しく美しく生きる、と言う事を、蓮の花を用いて教えられるのです。

このことは御経から学ぶならば、大乗仏教経典の「維摩経(ゆいまきょう)」にかかれておりますから、解説書を探して読まれるとよいかと存じます。



その他、蓮の花・蓮華は禅語にも観られる花でありまして、「拈華微笑(ねんげみしょう)」という禅語が御座います。

「拈華微笑」とは、話の内容は釈尊(お釈迦様・ゴーダマ・ブッダ)の説法の場面を用いて、「不立文字」「以心伝心」を伝える禅語であります。



ある時、釈尊が説法を説くということになり、お弟子さん達が釈尊の周囲に集まりました。

そして、釈尊は蓮の花を黙って拈ったのですが、お弟子さん達は、なんのこっちゃと理解出来ません。

そんな中で只一人、迦葉尊者(かしょうそんじゃ・大迦葉)だけが、にっこりと微笑みを返して、釈尊はその微笑みを観られて「迦葉尊者は理解した」とされ、釈尊が迦葉尊者に法を説かれた、という話です。



蓮の花・蓮花に関する仏教の話を探してみて、味わうのもまた一興かと存じます。
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仏教用語と仏教的な言葉まとめ3の3:不退転と知事

仏教用語と仏教的な言葉まとめ三回目の三つ目は、
:不退転(ふたいてん)と知事(ちじ)
です。

参照:「「不退転」と「知事」という仏教用語の意味」



不退転と言いますと、現代社会では「不退転の決意」という表現で覚えていたり、見聞きした人が多いのでは無いかと存じます。

時期や時代によっては、どこかの知事が「不退転の決意で臨みます」と、記者会見で意気込みを語る事がありますから、報道・ニュースをよく見られる方にとっては聞き慣れた言葉かもしれません。

もっとも、その後に「結局、退転してるじゃないか。」と、突っ込まれる方もいらっしゃる事例となってしまうのが、娑婆世界ではよくあることですが。



この「不退転」も「知事」も、仏教用語であり、仏教由来の言葉です。



不退転とは、そもそも人が賢しらな意をもってして、決意する事では御座いません。

浄土仏教、例えば私は浄土宗の檀家であり、毎日のお勤め・勤行にて、「不退転」や「不退の浄土」と称えさせて頂いております。

詳しくは、上の参照記事を復習して頂ければと思いますが、勤行では自致不退転」と称えます。

「おのずから、不退転の境地へ至る」という意味で、人が退転しないと決意する事ではありません。

退かない決意をしたというのであれば、「一歩も引かぬ決意」と言えば済む話です。



「不退転の決意」という言葉を発する人の代表的な人達と言えば、経営者や政治に関連する人達でありましょう。

一時、どこかの知事が「不退転の決意」と記者会見で発したことにより、この言葉を沢山の人が検索されたという現象もありました。

この「不退転の決意」を発された「知事(ちじ)」も、仏教用語です。



仏教における「知事」とは、禅寺の役職を示す言葉であり、「六知事」といいまして、6つの役職が御座います。

政治の世界で、一つの都道府県に六人の知事はおらんでしょうが、仏教・禅寺における知事は、六つの役職があるのです。

このお堂(ブログ)でも、食に関する話をするときに「典座(てんぞ)」という言葉を使うことがありますが、この典座も六知事の一つです。



この知事は、公正な心を持ちし聖者とされる僧が任命されます。

知事選挙の時には、この「公正な心を持ちし聖者」を任命するという意識を持って、投票したいものであります。

また、知事に選ばれた人も、「公正な心を持ちし聖者」として責任を持って事に当たって欲しいものです。

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仏教用語と仏教的な言葉まとめ3の4:お盆・盂蘭盆会

仏教用語と仏教的な言葉まとめ三回目の四つ目は、
:お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)
です。

参照「お盆とは何か?意味を盂蘭盆経から学ぶ」

参照2:「お盆情報まとめ」



お盆と言いますと、現在はあまり送り火や迎え火を焚くという風習であったり、精霊棚を作るという風習は、薄らいでいるのではないかと存じます。

京都では、五山の送り火・大文字が夏の風物詩となっておりますが、私個別の感じ方としては、あまり盛り上がりを感じないものです。

もっとも、わーわーと盛り上げる事でも御座いませんがね。



お盆・盂蘭盆会は、「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」の話が元となっていると言われており、お盆の風習は日本独特のエトス(行為様式・風習)です。

「盂蘭盆経」では、木蓮尊者の母親が餓鬼道に堕ちられ、母親を救いたいと思う木蓮尊者の話が書かれております。

木蓮尊者が、母親を救う手立てを釈尊に尋ねます。

その方法は、雨季の修行「安居」が終わる日、7月15日に修行を終えた僧侶達に食べ物を施す事だと教えられた木蓮尊者は、その通りにしてみたところ、母親が餓鬼道から救われた、という話です。

餓鬼や餓鬼道については、こちらでお伝えしております。

参照:「餓鬼の意味と餓鬼道」



お盆の時期は、7月15日であったり8月15日であったりと、地域によって行われる日程が違います。

また、宗派によっては精霊棚を設えたり設えなかったり、特別なお供えをするのか否かも違っております。

真宗・浄土真宗では、精霊棚を作りませんし、特別なお供えをしませんから、お盆のエトスで宗派を把握する事が出来ることも御座いましょう。

お盆に、お墓参りや先祖供養をされる場合、家の宗派を改めて知る機会とし、お坊さんと仏法に御縁を結ばれるのもよきかな、と存じます。
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仏教用語と仏教的な言葉まとめ3の5:エトス・パトス・ロゴス

仏教用語と仏教的な言葉まとめ三回目の五つ目は、
:エトス・パトス・ロゴス
です。

参照:「ロゴスとパトスとエトス(エートス)の意味と宗教」

参照2:「エトス・エートスとは拠(よりどころ)となる力」



エトスとパトスとロゴスは、これ自体は仏教用語ではありませんが、仏教について学ぼうという時に、理解を深めるに大切な概念であると思い、こちらにまとめることに致しました。

仏教的な言葉ではなく、言葉を仏教的に味わったり学ぶために、役立つ概念や考え方です。

また、仏教に限らず、あらゆる宗教を学ぶ上でも、この「エトス・パトス・ロゴス」は、バランスを持って考える事が肝要であると、私は釈徹宗さんの本や講座で、学ばせて頂いております。

参照:「釈徹宗さんの講演in大谷大学「真宗とエトス」」

参照2:「釈徹宗さんの情報まとめ」



簡単にまとめますと、「エトス=行為様式、風習」「パトス=精神性」「ロゴス=言語、論理」です。

詳しい解説は、上の参照記事「ロゴスとパトスとエトスの意味と宗教」を参照して頂ければと思います。



宗教や地域の信仰なり伝統を理解する上で、この「エトスとパトスとロゴス」をバランス良く見ていく事は、私も大切であると考えております。

そして、エトスとパトスとロゴスをバランス良く理解しようとすることは、宗教や宗派が違う、あるいは行為様式が全く違う人同士が、共感したりお互いを尊重するための土台作りとなったり、力にもなるのです。



エトスとパトスとロゴスのバランスと、これをしっかりと大切にした上で、お互いの宗教や風習、伝統を大切にし尊重し合う。



真宗大谷派・東本願寺が蓮如上人500回御遠忌で示された標語「バラバラでいっしょ」の実現は、ここにヒントがあるかもしれない、そのように思う私で御座います。



その他、仏教用語や仏教的な言葉をまとめた場所は、こちらに御座います。

参照:「仏教用語と仏教的な言葉まとめ|一回目」

参照2:「仏教用語と仏教的な言葉まとめ|二回目」

参照3:「仏教用語と仏教的な言葉まとめ|仕事編」

参照4:「仏教用語と仏教的な言葉まとめ|人間関係編」



これらも同時に学んで頂く事で、仏法とあなたが出会える機縁となりましたら、嬉しく思う今日この頃に御座います。



合掌

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