有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。
このお堂(ブログ)では、仏教語・仏教用語について取り上げて話をして参りましたが、数も増えてきたものです。
私は出家・得度していない在家の仏教者であり、仏教用語もそのような立ち位置からの味わいや頂き方を、お伝えしてきております。
専門的な言葉の解説や教義にてらされた話は、各々でお坊さんに尋ねたり、仏教用語辞典などを活用されると良いかと存じます。
言い訳がましくて恐縮では御座いますが、このお堂(ブログ)で伝えさせて頂いて来ました仏教用語の項目は、辞書的な意味と同意に、独自の味わい方をお伝えしております。
在家の一仏教者による、独自の味わい方という見方で、寛大な読み方をして頂けましたら、嬉しゅう御座います。
仏教用語をある程度まとめて復習して頂けるように
このお堂(ブログ)で紹介させて頂いてきた、幾つもの仏教語・仏教用語でありますが、数も増えてきましたから、ここで一度、まとめた場所を作ってみようと試みる事に致しました。現代のテクノロジーと言いますか、仕組み・システムも便利になりまして、このブログ(お堂)の仏教用語は、カテゴリーをの「仏教語・仏教用語」の項目をクリックして頂ければ、簡単に抽出出来ます。
何とも有り難いものです。
ただ、それだけだと味気なく、また、過去に綴らせて頂いた仏教用語について、時を経るに従い、新たな気づきや頂き方、味わいも御座います。
そういうわけで、私の復習や新たな気づき、補足や違った味わいを記録するという意味も兼ねて、「仏教用語まとめ」と題して、お送りすることに致しました。
記事を投稿していた当時、私がどのような味わいや頂き方をしていたのか、その変遷・さすらいも楽しんで頂けるかと存じます。
基本的にまとめていく際には、このお堂(ブログ)で紹介させて頂いてきた順番、古い順にお伝えして参ります。

仏教用語の復習まとめ第一段1:自業自得
仏教用語の復習まとめ第一段その1は、:自業自得(じごうじとく)
です。
参照:「自業自得の意味と英語表現」
参照2:「自業自得と自己責任」
現代社会において「自業自得」という言葉が用いられる場面と言えば、悪い事をしたり、失敗した時の報いを受ける際に使われます。
「仏教用語の四字熟語まとめ」という表題でもお伝えしましたが、「因果応報」や「自己責任」の、別の表現として使われるとも申し上げました。
仏教用語としての「自業自得」は、「自業自得・自業他得・他業自得」もセットで考えて観るのが仏教的である、と、以前に伝えさせて頂いております。
この事は、禅僧であられる玄侑宗久さんの本で学ばせて頂いたことが言葉の出所であり、受け売りと言えば受け売りではあります。
私は、この「自業自得・自業他得・他業自得」ありきの「自業自得」の頂き方は、自己責任的な使われ方に縛られている場合に、解きほぐしてくれる大切な考え方であるという味わいを頂いております。
言葉の出所は受け売りかも知れませんが、その後にどのように頂くか、そこが大切だと私は思うのです。
「自業自得」という言葉の意味や使い方を、「自己責任」の置き換えとしかしてこなかったのであれば、一度考え直したり、言葉の意味を理解し直すきっかけになるかと存じます。
仏教用語の復習まとめ第一段2:餓鬼
仏教用語の復習まとめ第一段その2は、:餓鬼(がき)
です。
参照:「餓鬼の意味と餓鬼道」
「餓鬼」という仏教用語については、お盆を「施餓鬼会(せがきえ)」とも呼ぶ事から、言葉や字面だけは知っているという人もいらっしゃることでありましょう。
「ガキ」という響きだけ聞くと、現代社会では「悪ガキ」など、子供に対する侮蔑的な表現として使われることもしばしば御座います。
仏教用語としての「餓鬼」とは、六道輪廻の「餓鬼道(がきどう)」の一つとして、説かれる事も御座います。
この「餓鬼道」は、六道輪廻の中では「地獄道・畜生道」と合わせて「三悪趣(さんあくしゅ)」「三悪道(さんあくどう)」として説かれており、人の業や煩悩を表す概念です。
六道輪廻と言うと、輪廻転生論と混合して考えられやすく、他界した後に堕ちる場所というイメージがありますが、「人の逃れられぬ性・煩悩」を表した概念であると、私は頂いております。
「餓鬼」とは、貪欲に貪り、欲しても欲しても、更に欲しがるという姿で描かれており、この事は決して他人事では御座いません。
現代の日本社会においては、物をいくら持っても持ち足りない、という「未足」を常に感じている人も、いらっしゃるのではないかと存じます。
そして、特にこれはなんちゃらビジネスと宣っていたり、インターネットビジネスや詐欺師・詐欺的な我利我利亡者が跋扈しているところで、「餓鬼」の姿を多く見ることとなります。
お金の話ばかりして、綺語や妄語をまき散らしてお金を奪う我利我利亡者達、特にすでにお金を持っているのに、更に欲しがっている憐れな餓鬼を「有財餓鬼・多財餓鬼」と言います。
有財餓鬼・多財餓鬼は、我々「人」は反面教師として学び、餓鬼道に堕ちないように律したいものであります。

仏教用語の復習まとめ第一段3:縁起
仏教用語の復習まとめ第一段その3は、:縁起(えんぎ)
です。
参照:「縁の意味を英語で学ぶ」
参照2:「縁起のいい日と言うけれど」
初詣で、寺社仏閣へお参りに行かれたとき、「御縁がありますように」と、五円玉を賽銭箱に入れて、お参りされた人も多いかと存じます。
御縁を自分都合で引き寄せようというお願い事は、仏教者である私としては「うーん・・・」と思う事も有りますが、無下に否定は致しません、私はそうしないだけで。
この「縁」とか「御縁」というのは、仏教においてはとても大切にしている教えであり、「御縁」という言葉が出て来たら、「縁起・因縁生起」を思い起こします。
「縁という言葉が、私にとって因縁生起を思わせて下さる御縁である」と言えましょう。
現在は、「縁起」と言いますと、「縁起が良い悪い」と言う使い方がなされる言葉となり、吉凶に関する意味がくっつき、さすらいを感じるところで御座います。
本来、縁起に良いも悪いもありませんけれども、この辺りは神仏習合の時代なり、元々の宗教や信仰と絡み合った経緯やさすらいがあったのでしょう。
ただ、それはそれとして、「縁起」については、仏教用語としての意味や使い方も、一度触れて頂きたい、そのように思うております。
その際に、浄土真宗本願寺派の僧侶である大來尚順さん「英語でブッダ」「超カンタン英語で仏教がよくわかる」が、力になって下さいます。
「英語でブッダ」をリニューアルしたのが「超カンタン英語で仏教がよくわかる」ですから、購入するならば、「超カンタン英語で仏教がよくわかる」の方が宜しいでしょう。
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仏教用語の復習まとめ第一段4:一蓮托生
仏教用語の復習まとめ第一段その4は、:一蓮托生(いちれんたくしょう)
です。
参照:「一蓮托生の意味と使い方」
一蓮托生は、仏教用語としての意味は「浄土に往生した時、同じ蓮の華の台(うてな)に生まれ出ずる」です。
「仏教用語の四字熟語まとめ」でもお伝えしましたが、本来は「夫婦円満一蓮托生」というように、とても円満な響と情緒のある言葉であり、そのような意味であります。
浄土仏教・浄土系の宗派の人でしたら、この辺りの語感・ニュアンスなり、味わい方を感じ取って頂けるやもしれません。
それが、現代に到るまでにさすらいを経て、悪い事をしたときに、関わった人を道連れにするという語感・ニュアンスが御座います。
現代的な一蓮托生、悪い道に引きずり込んだり道連れにするような在り方ではなく、仏教用語としての意味、円満な意味の一蓮托生という在り方で、人生を歩みたいものです。

仏教用語の復習まとめ第一段5:億劫
仏教用語の復習まとめ第一段その5は、:億劫(おっくう)
です。
参照:「億劫の意味と由来」
「億劫」とは、どちらも数の単位を表す言葉であり、仏教用語として観た場合、とてつもなく大きな数であることが窺えます。
「億」とは、「一億円」などと使われる数の単位です。
そして「劫」とは、一劫がおよそ40億年くらいと言われており、億劫となれば、数えるのが嫌になるくらい、聞いただけで気が遠くなりそうな数値であることを、把握して頂けるかと存じます。
現代的な「億劫」の意味は、「気が滅入る、やる気が出ない」といったところでありましょうか。
数の単位が、気分や精神の有り様を表す言葉になったというのは、それだけで仏教用語のさすらいを感じるものであります。
ただ、上でお伝えしました通り、億劫という単位を数える事は、気が遠くなりそうである、と申しました通り、「数えろ」と言われても、気が滅入るのも頷けます。
そのような事を考えれば、「気が滅入る、やる気が出ない」という意味に転じていったのも、わからんでもない、というのが私が味わった「億劫」という仏教用語です。
ここまで、これまでお伝えしてきました仏教用語を5つまとめてみました。
今後も、伝えさせて頂ける仏教用語も増えていくことでありましょう。
ゆえに、定期的に仏教用語をまとめた場所を設置させて頂く次第で御座います。
どうぞ「億劫」にならずに、お付き合い頂けましたら、有り難く存じ上げます。
尚、すでに四字熟語だけに特化した仏教用語は、こちらにご用意しております。
参照:「仏教用語の四字熟語まとめ」
仏教用語の概要だけを知りたい方にも、お使い頂けるような仏教用語をまとめた場所にさせて頂く次第であります。
合掌