有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。
私は、池上彰さんの解説が結構好きなこともありまして、「池上彰のニュースそうだったのか!」も、視聴する事がたびたび御座います。
先日、「池上彰のニュースそうだったのか!」を視聴していると、意外と知らなかった日本語というコーナーで、「微妙」という言葉について解説されていました。
この「微妙」を、どのように読むかによって、どのような頂き方をされているか、ある程度把握する事が出来るのではないか、と思われます。
「微妙」とは、現在は「ビミョー」と、間延びしたような発音になり、あまり宜しい意味で使われる、という事情も御座います。
この「微妙」という言葉は、実は仏教用語であったり致します。
仏教用語としての「微妙」の意味と、現代的な意味としての「微妙」の使い分けのコツは、読み方にあります。
その辺りのことを、改めて意味を学び直すために、英語からのアプローチも交えて、お伝え致します。
微妙の意味:現代的な使われ方のおさらい
「微妙」という言葉の意味について、まずは現代的な使われ方や、意味の認識・解釈について、おさらいしておきましょう。まず、読み方は「微妙」と書いて「びみょう」と読む人が、大半ではなかろうかと存じます。
国語の漢字テストなどで「微妙」を「びみょう」以外の読み仮名回答をすると、不正解とされる可能性が高そうです。
後半でお伝え致しますが、「微妙」を「みみょう」と書いても、丸を付けて下さる先生は、恐らく仏教について知識のある人か、仏教用語をきちんと学んでいる先生です。
現在、特に若い世代の方々が「微妙」というと、「これ、何かビミョーだよね。」と、宜しくない文脈を読み取る事が出来る使われ方をしております。
「微妙な味」と言えば、あまり美味しくないという事を表現しているな、と、解釈出来るのではないかと存じます。
また、「程度を表す言葉と意味」という使われ方も、しておりますね。
例えば、「微妙なさじ加減」「微妙に調整する」と言いますと、「微細な、少しだけ」という意味で捉えられることでありましょう。
恐らく、仏教用語からこのような意味にさすらったのは「微」という言葉の意味と字面が、関係しているのだろうと、私は想像しております。
現在の「微妙(びみょう)」は、「かすかな」であったり、「良くも悪くも無いが、どちらかというとかすかに悪い方かな」くらいの語感・ニュアンスが御座います。

微妙を英語から学んでみる
言葉の意味を理解する上で、他言語から学ぶ事も有効・有用で御座います。と、言うわけで、今度は「微妙」の意味を、英語から学んでみると致しましょう。
英語の教養も身につきますし、微妙の意味も深められますから、教養という視点からすると一石二鳥以上でありましょう。
「微妙」を、ATOKで変換していくと「subtle」が出て来ます。
「subtle」とは、「とらえがたい、微妙な、微細な、巧妙な、敏感な」と言う意味です。
また、別の英単語では「delicate」が出て参ります。
「delicate」の意味は、「上品で微妙な、優美な、繊細な、ほのかな、美味しい」です。
なんだか、現代の日本で使われております「ビミョー」と書くとわかりやすい語感・ニュアンスの「微妙」とは違う印象が御座います。
そういえば、冒頭でお伝えしました「池上彰のニュースそうだったのか!」の、以外と知らない日本語コーナーでは、「そのまま世界で使われるようになった日本語」も紹介されておりました。
「KOBAN」や「MOTTAINAI」が、それに該当致します。
実は、「微妙」も、それと同じフレーズが御座いましてね。
今回、上の単元で「微妙なさじ加減」という表現を用いておりますから、「微妙なさじ加減」を、英語にしてみましょう。
試しにGoogle検索で、「微妙なさじ加減、英語」と検索してみますと。
「subtle sajikagen」と、教えて下さるではありませんか。
「sajikagen」というのは、英訳しにくいのでしょうかね。
「加減」は、「addition and subtraction」ですけれども、「匙加減」は「sajikagen」と出ます。
いやはや、「spoon」とは訳さずに、「微妙なさじ加減」の英語での表現は「subtle sajikagen」とは。
ちなみに、「匙加減をする」でしたら、「make allowance(s)」が使えます。
ゆえに「make allowance(s)」という英語表現を、上手いこと使った方が、無難に伝わりそうな気が致します。
微妙の意味を仏教用語として学ぶ
現在は、「微妙」と言うと、「ビミョー」と言うように、あまり宜しくない意味で使われるか、「ちょっとした、わずかな」という意味で使われます。そのような「微妙」ですが、「微妙」という言葉は、実は仏教用語の一つです。
実は私も、毎日この「微妙」という言葉を、毎日読み上げる偈文の中に御座います。
故に、池上彰さんの「池上彰のニュースそうだったのか!」で、「微妙」が取り上げられたとき、その事を連想したものです。
仏教では、「微妙」を「みみょう」と読みます。
そして私は、この「微妙」を、毎日「みみょう」と読んで、有り難く尊い意味で、頂き続けておるのです。
一体、どこでこの「微妙(みみょう)」が出てくるのか。
私は浄土宗の勤行をさせて頂いておりますが、浄土宗の勤行では、御経を読み上げる前に「開経偈(かいぎょうげ)」を読み上げます。
「開経偈」とは、「これから読経しますよ」という意味であり、その合図のようなものだと考えて頂ければ、わかりやすいかと存じます。
「開経偈」の内容は、以下の通りです。
「無上甚深微妙法、百千万劫難遭遇、我今見聞得受持、願解如来真実義」
ちなみに、真宗大谷派で毎日の御法話の際、お坊さんと一緒に「三帰依文」を読み上げますが、三帰依文の最後に、お坊さんが「開経偈」の読み下し文を読まれます。
「無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭遇こと難し・・・」と、こんな感じです。
「無上甚深微妙法」の読み方は、「むじょうじんじんみみょうほう」です、出て来ましたね、「微妙(みみょう)」が。
きちんと意味を現代語訳して理解すると、「微妙(みみょう)」は、素晴らしいという意味で頂く事が出来ます。
仏教用語としての「微妙(みみょう)」とは、「感覚で捉えることが出来ない程に、「かすか」で「たえ」なる状態」という意味です。
この辺りは、私は禅僧の玄侑宗久さんの「さすらいの仏教語」からも、学ばせて頂きました。
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「無上甚深微妙法」を、私はそのような頂き方をしております。
「これ以上が無いほどに、甚だ深く、人の感覚で捉えることがでにない程に微細かつ妙なる法は、百千万劫もの時間の中でも、遭う事が難しい」というのは、どれほど有り難いか、という事をあらしています。
是がもし「ビミョー」だったら、全然有り難みも尊さもありません。
「微妙(みみょう)」は、このことからも、仏教用語としては「素晴らしい、有り難く尊い」という意味がある、という事が、おわかり頂けるかと存じます。
なんだか、「微妙」という言葉は、英語で表現したときの方が、仏教用語としての解釈に近いというのが、なんとも言葉の不可思議さを感じるところです。
そういえば、「妙」と言えば、現在でも「巧妙な手段、絶妙な味」と言うと、なんだか良い方向性の意味に捉えられる事も御座います。
「巧妙な手口」というと、詐欺の上手さという意味もあり、一概には言えませんが。
「微妙(みみょう)」も、長いさすらいを経て、「ビミョー」な意味になっていったもので御座います。

「微妙」の現代的な意味と仏教用語としての意味と使い方の分けるコツは、読み方にあり
「微妙(びみょう)」と「微妙(みみょう)」の意味は、これで現代的な使い方としての意味と、仏教用語としての意味の両方を、覚えられたことかと存じます。では、きちんと分けて使う、使い分け方はどうすれば良いのか。
勘の良い方でしたら、もうおわかりかと存じます。
そうです、「読み方」が違うのですから、読み方で使い分けるのが、使い分けのコツです。
文字で書く時は、振り仮名を付かないと伝えづらいでしょうが、会話の時などで使い分けるなら、「びみょう」と「みみょう」と、読み方で使い分けると宜しいかと存じます。
「え?みみょう、って何?」と聞かれたら、説明しないといけない事は、発生するかとは思いますがね。
ちなみに、仏教用語と現在使われている日常語との区別は、読み方でわかる、という事は、あるものです。
例えば、「安心」は、現在は「あんしん」と読みますが、仏教用語としては「あんじん」と、濁ります。
「執着」も、日常語としては「しゅうちゃく」ですが、仏教用語としては「しゅうじゃく」です。
「選択」は、浄土宗でしたら「せんちゃく」で、真宗・浄土真宗なら「せんじゃく」ですし、日常語でしたら「せんたく」です。
読み方で、その人が仏教徒かお坊さんか、仏教を学んでいる人か、わかりそうですね。
これを踏まえて、「微妙」も、「びみょう」と「みみょう」と、使い分けている人は、仏教を学んでいる人か仏教徒か、といったところで御座いましょう。
ただし、漢字の読みのテストでは「みみょう」ではなく、「びみょう」と回答する方が、無難ではあるでしょうけれども。
合掌、礼拝