有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。
あなたは、暗記というとどのような印象を持たれているでしょうか?
最近は、暗記科目よりも考える力をつけるという教育方針が叫ばれていて、考える力を養う教育が盛んであるような風潮が御座います。
それはそれで結構な事でありますし、考える力を養うことには私も賛同するところであります。
一方で、私は暗記形式の学習は、決して悪いとは思うておらず、むしろ暗記の大切さについては、色々な経験から今頃になって思い知る今日この頃に御座います。
なんだか、暗記科目や暗記すること、物事をそらんじて言える事について、ネガティブな印象が見え隠れする昨今、改めて「暗記」という事柄について、見直して見たいと思います。
暗記の方法とコツを学ぶ前に、暗記を改めて見直して見る
暗記というと、学校教育においては、国語の漢字や歴史など、主に文系の科目において、重要な概念であるように、学生時代には思うたものです。漢字テストなどでは、暗記するために日々苦労したという人も、多いのではないかとお見受け致します。
数学や理科などの理系科目にしても、公式は丸暗記して使う事になりますから、理系科目も暗記すべき事は幾つもあるわけですが。
それらの公式を、私も学生時代には必死になって覚えたものであります。
今はもう、殆ど忘れてしまいましたがね。
そのような暗記という概念は、近年の「考える力を伸ばそう」という教育方針の転換から、軽視されているような風潮を、私は感じております。
確かに、考える力を伸ばすこと、思考能力を伸ばすことそれ自体は、否定は致しません。
しかし、だからといって、物事を暗記するという事を、軽視する方向に傾くのも、どうなのだろうかと考える次第であります。
過度な詰め込みや、暗記偏重もバランスを欠きますが、考える力を伸ばすために、暗記するという事を疎かにするというのも、またバランスが悪いように思います。
暗記には暗記の良さがありますから、まずはそこを見直す事から始めてみるべきではないか、私はそのように考えるわけであります。

暗記した御経や偈文等を暗唱しているときの功徳
暗記というと、現在はなんだか暗い感じ、ネガティブな印象を持つ人もいらっしゃるかもしれません。しかし、暗記には、暗記だからこそ発揮出来る力なり、功徳も御座います。
その事について、特に禅僧で作家の玄侑宗久さんも、幾つかの本・エッセイで我々にその功徳を伝えて下さっています。
今回、暗記についての功徳について話をしておりますが、その暗記の功徳が書かれているのが「無功徳」という禅師の本だったりします。
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暗記をした事柄、ここでは御経の話になりますが、暗記した御経を称えますと、脳波がアルファー波になるそうです。
アルファー波とは、リラックスしていたり安静にしている時に示される脳波です。
また、暗記をしている御経を、集中して暗唱している最中は、その事に集中しているわけですから、一種の「三昧(ざんまい)」の境地にいることになります。
私の場合は、この「三昧」は、24時間不断念仏会などで「念仏三昧」を体験しておりますから、経験上、そして体感として理解しております。
集中出来る環境で、かつリラックスした状態にて暗記したものを暗唱するという事は、肉体的な功徳もあり、それが精神作用にもなるであろうことは、私も経験致しました。
更に、その他の功徳を申し上げますと、玄侑宗久さんの本には、具体的な事例が幾つか紹介されております。
その一つが、脳梗塞になった方が、以前から般若心経を暗記して暗唱していたエトス(行為様式・習慣)を持っていたことから、その暗記していた般若心経を称えていく内に、回復していった、という事例を報告して下さっています。
同じ事例ですと、小椋佳さんの息子さんが、脳梗塞から回復したきっかけが、何度も聞き続けていた父親である小椋佳さんの歌を暗記していて、それが突破口となった、という逸話をご存じかも知れません。
このような事例もあり、脳や身体、そして心にも良い影響となり得る力を有する「暗記」を、今一度見直して、実践してみるのも良いのではないか、私はそのように味わっております。
暗記の方法とコツは勤行から学ばせて頂いた
実は私、暗記の功徳や効果、またその素晴らしさを体感として知るようになったのは、学生時代を過ぎてからです。そして、暗記の方法とコツについて知ったのは、仏教と再会させて頂き、勤行をさせて頂くようになってからです。
この「毎日の勤行というエトス(行為様式・習慣)」から、私は暗記の方法とコツを学ばせて頂きました。
勿体振っても仕方在りませんから、早速、私が体験的・経験的に学び、実際に覚える・暗記するに到った内容をお伝え致しましょう。
そこから、特に暗記科目でヒーヒー言わされている学生さん達が、暗記する方法とコツを掴む参考になれば、嬉しゅう御座います。
今回は、方法とコツを多く盛り込みすぎても消化不良を起こしかねませんから、二つにしぼってお伝え致します。

暗記の方法とコツ1:暗記したいことは口に出すなど身体も使い集中する
物事を暗記する方法とコツの一つ目は、:暗記したい事柄は、身・口・心の三業と共に
です。
仏教では、人間の行いについて「身業・口業・意業」の三業という言葉で表します。
この言葉と智慧を拝借して、身と口と心を、暗記したい事柄に集中するのです。
私は毎日の勤行で、原則として御経さんや偈文は、きちんと文字を眼で追いながら頂いております。
私の場合は、御経さんや偈文等を、眼(身)と口と心(意識)の全てを集中して毎日、朝と夕の二回称えていく内に、自然と暗記するに到りました。
私はお念仏もそうですが、時々、それこそ読んで字の如く「口を突いて御経さんが出て来て下さる」「南無阿弥陀仏の六時名号・お念仏と出会わせて頂く」という日常に至っております。
また、これは実際に実践して身につけて頂ければ「確かに、なるほど!」と思って頂けると思いますが、暗記したい物事を口で唱えていると、いつの間にか口が覚えています。
私も、般若心経をいつの間にか口が覚えていて、いつの間にやら暗記して暗唱出来るようになっておりました。
口から暗記に到るというのは、暗記する方法やコツの一つとして、認識して頂いてもよろしいかと存じます。
試しに、般若心経を、今日から朝と晩に唱え続けてみては如何でしょうか。
いつの間にやら口が覚えていて、暗記の方法とコツを体感して頂けるかもしれません。
学生さんでしたら、暗記したい物事を、上手いこと節を付けて、毎日唱え続けてるという覚え方が、暗記や記憶の方法やコツとして、有効ではないかと存じます。

暗記の方法とコツ2:エトス(習慣)にすれば自然と覚えられる
暗記の方法とコツの二つ目は、:毎日、暗記したい物事に触れるという習慣にする
です。
エトスという言葉には、「行為様式」の他に「習慣・風習」などの意味も含まれます。
つまり、「エトス」という言葉が含むことを全て実践し、生活のどこかに暗記したい物事に触れる習慣を身につけるのです。
実は是、私も偶然に体得した暗記術・記憶術であり、実践的な暗記の方法とコツであったりします。
私は、基本的に自宅では浄土宗の勤行をさせて頂いておりますが、東西の本願寺に御法話を聴聞する際、御法話の前のお勤め・勤行も一緒にさせて頂いております。
西本願寺では、浄土宗も称える「歎仏偈(たんぶつげ)」を、東本願寺では「正信偈」を、それぞれ御門徒さんと共に称えさせて頂きます。
そして、西本願寺の御法話の時は、最後に「肝要は御文章の拝読にて」と、御法話をして下さったお坊さんが、蓮如上人の御文章(手紙のこと)を読まれます。
読まれる御文章は、多くが「聖人一流章」という御文章です。
私は、西本願寺の「御文章の拝読:聖人一流章」が、何となく耳心地が良かったので、ブツブツと一緒に口ずさむようになりました。
そうしたら、いつの間にか音程や節と共に、「聖人一流章」をそらんじるまでに至っておりました。
何回も通って、ブツブツと口で称えて真似する内に、いつの間にか口が覚えておったのです。
このような体験から、暗記したい事柄は、毎日触れる事、習慣という意味のエトスを実践し続ける事、これが大切であり、確実な方法とコツであると実感致したものです。

短時間で暗記できる方法とコツよりも、長期記憶にまで昇華出来る暗記の方法とコツを学ぶべき
今回お伝えしてきた、私も経験や体験から身につけた、暗記の方法とコツですが、突き詰めていくと、奇をてらったことでは無く、堅実な方法であることが分かるかと思います。要約すると「身・口・意の三業と共に、暗記したい事柄に毎日触れるというエトスを確立する、」という事です。
短期間で暗記する方法や、速読術のような流行の簡単記憶術とは、方向性が違うであろうことも、自覚しております。
しかし、暗記というのは、身体に染みこませるもの、反復練習によって血肉にするというのが、最も確実性の高い方法であると、私は経験からも味わい、頂いております。
私は、そのような方法により、般若心経を始めとして、仏法を伝えて下さる偈文や御経さんを暗記させて頂くに到りました。
奇をてらう暗記する方法やコツ、記憶術の類いを漁るよりも、さっさと毎日暗記したい事柄に触れる習慣を確立する方が、よほど力になってくれると、私は思うております。
今回の話から、暗記する方法とコツを学んで頂き、暗記する事の効能や功徳を享受されましたら、嬉しゅう御座います。
合掌