有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。
あなたは、「あみだくじ」という言葉の由来をご存じでしょうか。
阿弥陀如来がご本尊である宗派のお坊さんによる御法話を、よく聞いていらっしゃる方ならば、一度は聞いた事があるかと思われます。
あみだくじを漢字変換すると、「阿弥陀籤」と書きまして、なんだか私は格好良い字面だと感じておったり致します。
格好良いとか、そういう頂き方をするのは、仏教的ではないかも知れませんがね。
あみだくじの由来・歴史については、後ほどゆっくりとお伝え致します。
あみだくじという言葉について、その意味を知るには、あみだくじの由来や歴史を辿りながら、英語を通して観ると、より見えてきます。
今回は、あみだくじの由来や歴史、そして英語でどのように表現するのか、雑学と言いますか教養を身につけると共に、その趣旨も改めて問うことに致します。
あみだくじの由来と歴史
あみだくじの由来については、これは浄土仏教を学んでいる人や、浄土仏教系の宗派にある程度関わりがある人ならば、「知ってるよ」と仰るかと存じます。もしもご存じ無ければ、これを機会に覚えて頂くとよいでしょう。
あみだくじ、という籤(くじ)の名前の由来は、
:阿弥陀如来(あみだにょらい)
です。
阿弥陀如来とは、阿弥陀仏とか阿弥陀様という呼び方もされる仏の事で、鎌倉の高徳院で坐られている、通称「鎌倉の大仏」は、阿弥陀如来の座像であります。
正式名称は、確か「銅造阿弥陀如来坐像」だったと記憶しております。
ちなみに、高徳院は浄土宗のお寺さんで、近年は月夜に南無阿弥陀仏を称え続ける別時念仏会も開催されております。
京都の知恩院で開催されるようになった、「ミッドナイト念仏」を連想させて頂ける別時念仏で御座います。
この阿弥陀如来の絵像や仏像を観て頂くと、後光が差している姿で阿弥陀如来が描かれております。
この辺り、絵像の方が後光をよりわかりやすく観る事が出来るかと存じます。
私の実家の仏壇にも、阿弥陀如来の絵像が御座いますが、後光が差しているお姿で、描かれて御座います。
そして、この「後光」が、「あみだくじの由来」です。
現在のあみだくじと言えば、縦と横の棒線を書いて作成するものが主流ですが、元々は中心から外側に向かって放射状に線を書いていく方式でした。
その形が、まるで阿弥陀如来の後光の差しかたと似ているなあ、ということから、「あみだくじ」という名前になった、というのが由来です。
現在は、はしご状の形に変わってはおりますが、あみだくじという名前そのものは、現在まで継承されている、という話です。
あみだくじの歴史を辿ってみると、どうやら室町時代には、すでに元々の形で使われていたようです。
もうしわけありません、この辺りの歴史の話は、私もお坊さんや本、あるいはネット上で少しずつ聞いただけですから、確定した説を申し上げる事は出来ません。
ただ、少なくとも阿弥陀信仰や、阿弥陀如来をご本尊とする日本浄土仏教が確立されていってからの歴史であろうことは、確かだと私も考えております。
ゆえに、鎌倉新仏教と呼ばれる日本仏教が世に広まっていった時代よりも後であるという歴史であるのは、頷ける話です。

あみだくじの由来である阿弥陀如来についての教養
あみだくじの由来と歴史を辿ることで、必然的に阿弥陀如来に行き着きます。そこで、私も浄土宗の檀家であり、ご本尊が阿弥陀如来ゆえに、少しここで阿弥陀如来という仏と仏像にまつわる話を、お伝えしておきます。
少しだけの触り程度の知識ではありますが、教養ということでお付き合い頂ければ、嬉しゅう御座います。
やはり自分の宗派のご本尊ゆえに、伝えたいという欲求と言いますか、煩悩が燃えさかりましてね。
これが「衒学」や「勝他」という、御宗祖であられる法然上人が戒めて下さる事なのですが。
もしもあなたが、仏像がお好きで仏像巡りをされているならば、色々なお寺で色々な仏像をお目にされたかと存じます。
今回のあみだくじの由来にまつわる阿弥陀如来以外の他にも、釈迦如来や大日如来、また如来以外に不動明王や観音菩薩などの像も、観られたかも知れません。
そこで、仏像を拝まれたり観賞されるとき、その姿そのもの、例えば立っていらっしゃるか坐っていらっしゃるか、手はどんな形なのか等々を、よーく観られると、また味わいが深まるかと存じます。
「なんでこの仏像は立っているんだろう。」「なんでこの仏さんは坐っているんだろう。」
そんな感じで問いを立てて観ると、その問いに対する答えを想像していくことになるかと思います。
また、このように問いを立てられたら、想像でよいから、「こういう理由ではなかろうか。」と、色々と考えて見られると、想像力と考える力も養われます。
例えば、阿弥陀如来について申し上げますと、阿弥陀如来像には立像と座像があります。
特に真宗・浄土真宗の阿弥陀如来は、絵像でも木や石の像でも、立像を観られる事が多い事に気がつかれる事もあるかと思います。
では、なぜ真宗・浄土真宗の阿弥陀如来像は、立っていらっしゃるお姿で描かれたり作られたりしているのか。
このように、仏像のお姿そのものに問いを頂きながら観るというのも、一つの鑑賞法ということで、お伝えしておきます。
実はこれ、その像の由来や歴史を辿る道の一つだったりしますから、そこから仏教の歴史を辿る旅へ繋がっております。
今度、仏像巡りに出かけられるときや、お寺巡り、パワーレススポット巡りをされるときは、覚えて置かれると、味わい深い旅となるかと存じます。
あみだくじの英語
阿弥陀如来の由来や歴史と、仏像鑑賞術というと大げさですが、仏像の鑑賞の仕方について一つお伝えしたところで、話をあみだくじに戻します。今度は、あみだくじについての教養を深めるために、今度は英語で学ぶ事に致しましょう。
この辺り、より理解を深めるために、他言語からのアプローチをするという方法は有効です。
そして、ATOKというソフトをお使いの方でしたら、変換していったら、あみだくじの英語表現が出て来ますから、一度試して見て頂ければと思います。
「あみだくじ」を、そのまま直訳すると、
:lottery
と出て来ます。
lotteryとは、「くじ引き、抽選」という意味があり、「運次第のもの、運」という意味も御座います。
でも、これだったら、宝くじもlotteryで表現出来ます。
ちなみに、英語で宝くじを表現するなら、「public lottery、lottery ticket」です。
出来る事なら、もっとどんぴしゃりのあみだくじという言葉の英語を知りたいものです。
そこで私は、「阿弥陀」も英語にして見ることを思いつきました。
「阿弥陀」は、「the Amitabha Buddha」です。
「Amitabha」は、「アミターバ」の事で、これは「無限の光、無量光」という意味です。
「Buddha」は、「仏、如来」の事であり、覚者や悟った人、目覚めた人という意味です。
この「the Amitabha Buddha」という英語表現を用いる事で、あみだくじの英語表現ができそうだ、というところまでは、私も行き着きました。
が、本当にそうなのか、と問いを立てて、色々と調べ直してみると、もっと直接的なあみだくじの英語がありました。
ただ、それはもう「阿弥陀如来」とは全く違う意味になっておりましたがね。
その英語表現とは、
:ladder lottery
です。
ladderは「はしご」という意味で、現代的なあみだくじは、確かにはしご状に作成されますから、視覚的にはladder lotteryです。
恐らく、元々のあみだくじの形、中心から放射線状に線を引いていくあみだくじでは、この訳にはならんでしょう。
ゆえに、「ladder lottery」は、はしご状のあみだくじ限定の英語表現と言えるでしょう。
そして、実はあみだくじの英語表現には、このようなものもあります。
それは、
:ghostleg lotteryまたはghost leg
です。
ghostは「お化け・幽霊」のことであり、初見では「阿弥陀如来をお化け呼ばわりか、幽霊の脚呼ばわりか」と、思ったものですが、そこからきちんと冷静に考えてみることに致しました。
あくまでこれは、私の勝手な憶測ですが、元々のあみだくじの形、中心から外側に線を引くタイプのあみだくじは、もしかしたら「蛸(たこ)」に見えると言う人もいらっしゃるやもしれません。
蛸を上から眺めた姿です。
阿弥陀信仰がなかったり、仏像の後光という概念そのものを知らない人ならば、「あれって蛸みたい」と言う人もいらっしゃることは、あり得る話です。
そして、西洋では蛸ってなんだか気持ち悪いというイメージを持っている人もいた時代がありましたし、なんだかお化けの類いか、と思う人もいたかも知れません。
それゆえに、元々のあみだくじの形は、「なんだか蛸のお化けみたい」と感じ、そこから「ghostleg lottery」になったのかな、という事を妄想してみました。
学術的な話ではなく、あくまで私の勝手なる妄想ではありますがね。

あみだくじの由来にまつわる小話:ドンキーコング
あみだくじの由来を辿り、英語から読み解くことで、あみだくじという言葉にまつわる教養なり面白さを、味わって頂けたでしょうか。味わって頂けましたら、嬉しゅう御座います。
折角ですから、今回はいつもとは違った柔らかめの話になったという感覚が私には御座いまして、最後まで柔らかめの雑学的かつ教養の話を、展開させて頂く事に致します。
ただ、これから話す事は、世代によっては「懐かしい」となり、世代によっては「なんじゃそりゃ」となるかと存じます。
あなたは、「ドンキーコング」という任天堂のゲームをご存じでしょうか。
もしかしたら、映画「ピクセル」を観られた方ならば、「はしごを登りながら樽を避けていく、あのゲームか」と、思い出される事でありましょう。
ドンキーコングには、ジャンプ機能や無敵機能があります。
しかし、任天堂の方が元々のドンキーコングはどういうものか、という話をされていたときに、このような話をされていました。
「ドンキーコングは、元々はあみだくじ(はしご状の方)を抜けていくゲーム」
あのゲームは、元々はジャンプ機能はなかったけれども、樽が迫ってくるという仕様ゆえに、ジャンプ出来なかったらえげつないくらいに難しいゲームになる、と言う事で、ジャンプ機能が付けられた、との事です。
「斑鳩」などのゲームを作ったトレジャーという会社のゲームが大好きな方ならば、臨むところでしょうけれども、それだとここまで有名になったり、親しまれることがなかったかも知れません。
「斑鳩」などをプレイされた方もいらっしゃる方ならわかるかと存じますが、トレジャーのゲームってある種、苦行といってもいいくらいの感覚があります。
楽しんで遊ぶゲームを苦行にするというのは、当時は流石にちょっと・・・という事になったのだろうかと思われます。
ゆえに、ジャンプ機能がないと、えげつない難易度になる、という事で、樽を飛び越えられるジャンプ機能が付けられた、ということなのでしょう。
このようなエピソードを、任天堂の何かのインタビューで、読んだ事がありました。
元々は、はしご型あみだくじをせっせと昇っていく、というゲームだったそうですよ。
あみだくじの由来や歴史と、英語の話から、なんとも話の展開がさすらった今回の話、お楽しみ頂けましたら、嬉しゅう御座います。
いつも、結構お堅い仏教・仏法の話ばかりでしたから、たまには、こういう柔らかすぎるくらいの軟らかい話も善いかな、と思う今日この頃に御座います。
あみだくじについて、硬めの話は、こちらに記して御座います。
参照:「あみだくじ作成アプリや必勝法を探しているあなたへ贈る問い」
幾許か説教じみた話も展開しておりますが、寛容なお心でお読み頂けましたら幸いです。
合掌