紫陽花(あじさい)の花言葉に学ぶ仏法

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

あなたは、紫陽花(あじさい)の花を見て、花言葉やまつわる話、また紫陽花が綺麗に咲くお寺を連想されますか?
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私の父親が紫陽花(あじさい)の花が好きで、毎年6月になると紫陽花と共に「父親が好きな花の季節だなあ。」と思うようになりました。

静岡県南伊豆町に居た頃は、紫陽花の名所が幾つもあり、下田市のあじさい祭りでは紫陽花の道を歩いたものです。



紫陽花(あじさい)と言えば「紫陽花の花言葉には良い意味と悪い意味の両方がある」という事でも有名ですね。



後ほど紹介致しますが、紫陽花の花言葉には悪い意味や縁起・験担ぎにはどうだろうという意味もありまして、結婚式ではタブーだとか言われている意見もあります。

良い意味では、結婚式などでは夫婦の門出を祝福する良い意味の花言葉もありますから、迷う人もいらっしゃるでしょう。

結婚式では花言葉に敏感な人もいるでしょうし、贈らない方が無難そうです。
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仏教では、言葉一つを良い意味だのある言い意味だのと分別することは妄想の一つであり、それを戒める禅語もあります。



紫陽花(あじさい)の花言葉について、良い意味と悪い意味(とされている)の花言葉の両方を紹介しつつ、仏教的に学んで観ると致しましょう。

紫陽花(あじさい)の由来と良い意味・悪い意味の花言葉

紫陽花(あじさい)は、漢字は当て字であり、語源や由来は
:あぢ・あづ(集める)+さゐ(真藍)
であると、語源辞典に記されております。

白色や紫色、赤色もありますけれども、青い色が集まっている花が印象的で、語源や由来通りの花です。



紫陽花(あじさい)の花言葉ですが、良い意味ですと
:元気な女性
:辛抱強い愛情、我慢強い
:家族や一家の団らん
といった花言葉があります。

なるほど、確かに現代社会において「良い意味」と言われるのも分かる気がします。



一方で紫陽花の悪い意味としては、
:移り気、浮気性(色が色々変わるから)
:高慢で自慢する
:美しいけれども冷淡で無情
という花言葉があります。

紫陽花の色は、土壌のpH(ペーハー)によって変わりますから、確かに環境に流されるという意味で「移り気・浮気性」という花言葉が付けられるのも頷けます。



しかしまあ、誰がこのような花言葉を考えるのでしょうかね。
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紫陽花の花言葉から仏法を学ぶ

紫陽花花言葉で、悪い意味として伝えられている言葉ですけれども、私はここから仏教を学ぶ事も出来るし、良い意味か悪い意味かは、結局捉え方次第だな、としております。



現代社会では一貫性が大切だと言われていますし「移り気」というのは良い意味では使われにくいという語感が、一般的な「移り気」という言葉に対する感覚ではないでしょうか。

どちらかというと「移り気=浮気性」と、悪い方の意味で捉えられることの方が多いという現状があります。



それを示す四字熟語に「朝令暮改(ちょうれいぼかい)」という言葉が御座います。

朝令暮改(ちょうれいぼかい)は「朝言った事が暮れには変わっている事、あてにならないこと」という意味があるです。



しかし、移り気は本当に悪い意味だけでしょうか?



仏教には三法印の一つ「諸行無常(しょぎょうむじょう)」という教えがあります。



中学生の頃に、古文の授業で
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」
と、平家物語の冒頭を習った人も多いでしょう。

ちなみにこの後には「沙羅双樹」という、仏教にまつわる樹木も出て来て、仏教思想を説法されている方もいる程、仏教を学べる文章です。



「あの人は移り気な人だ」と言うと、悪い印象がありますし、軸がぶれぶれという、悪い意味に捉えられやすい言葉です。

でも、そもそも人という生き物に限らず、世の中のものは常に揺れ動いているものであります。



身近な例で例えますと、
「アレが食べたい!欲しい!」
と思った時を想像して下さい。

アレを食べようと思って、それを目の前にする過程で、次第に食べたくなくなったり、欲しくなくなったりする事って、今までの人生で御座いませんでしたか?

確かに、結果として不誠実となる「移り気」は慎むべきですが、「移り気」という特性や概念そのものは、決して悪いことではありません。



そもそもとして、「良い意味」となるか「悪い意味」となるかは、その時々の状況や環境、関係性によって、それこそ移り変わるものです。

上で示した四字熟語「朝令暮改」は、その典型的な事例を示した熟語でしょう。

中には「朝令朝改」という事もあり得ます。



更に極端な事を申し上げますと、刹那の後の瞬間さえ、人は変わることがあります。

これぞまさに「諸行無常」です。



紫陽花(あじさい)の花言葉は花言葉としてあるだけで、それが良い意味であるか悪い意味であるかは、捉え方次第、そしてその捉え方さえも「無常」なるものです。

良い悪いと決めつけずに、花言葉とも接してみること、これも仏教の知恵であると私は思うております。


紫陽花の花言葉から禅的な学びを

このように、紫陽花の花言葉を、「あの花言葉は良い意味」「この花言葉は悪い意味」として、一元的に観る事を戒める話を、仏教の智慧から学びました。

そこで更に、禅の世界から、禅的に紫陽花の花言葉を学ぶというアプローチもしてみたいと思います。



禅語には「莫妄想 ( まくもうぞう )」といって、良いだの悪いだのと勝手に分別することを戒める言葉があります。

紫陽花の花言葉を今一度読み直して、
「今、自分はどのように分別しているか」
と言う事を観察して見る事を提案させて頂きます。



また、これまでの話を踏まえた上で、更にこのような味わいも、禅的に学ぶ事が出来ます。



禅語に、
:両忘(りょうぼう)
という言葉が御座います。

忘れる、というと、世間知・一般的な印象としては、あまりよろしくない印象の言葉であるように思えます。

しかし、この「両忘」という禅語は、
「善悪や苦楽など、二元論的な事柄に囚われないこと」
を、戒めてくれる意味や解釈がなされる言葉です。

この事を説明するために、「不思善不思悪:善をも思わず悪をも思わず」という禅語と共に用いられることが御座います。

今回の、紫陽花の花言葉に絡めると、「この花言葉は悪い意味だから嫌」とか「この花言葉は良い意味だから、こっちだけ知っておこう」とか、そういう事に陥らない戒めとなる禅語です。

花言葉には、花にまつわるストーリー・ナラティブ(物語)を味わう事が出来ますし、悪い花言葉ならば悪いなりに、学べる事や味わいがあるものです。

花言葉を、一端は良いだの悪いだのと言う先入観を「両忘」し、味わいを深めるのが、禅的な味わいではないかと私は頂いております。
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紫陽花の花言葉にちなんで:京都のあじさい寺

紫陽花の花言葉やその意味について、仏教の智慧を拝借して話をさせて頂きましたが、少しばかり堅苦しい話になってしまったかもしれません。

そこで、最後に仏教関連の話として、京都のあじさい寺についても伝えさせて頂きましょう。

紫陽花の季節に赴かれて、和んで頂ければ嬉しゅう御座います。



紫陽花と言えば、仏教に関連する事柄として、京都にも幾つかある「あじさい寺」を連想します。

全国的に有名なあじさい寺と言えば、奈良県大和郡山市にある「矢田寺」が有名所です。



京都のあじさい寺として有名なところといえば、
:三室戸寺(京都府宇治市)
があります。



源氏物語縁の地で、源氏物語くじもありますし、平等院鳳凰堂ともそれ程離れていません。

また、三室戸寺の北へ足を伸ばすと、禅宗のお寺
:黄檗山萬福寺
も、あじさい寺ではありませんが、禅とお茶のゆかりの地があります。



他に京都のあじさい寺と言えば、
:三千院(京都市大原)
があり、「きょうとおおはらさんぜんいん~♪」で有名な場所もあります。



6月の紫陽花の時期、京都のあじさい寺に来られたら、寺院巡りと合わせて、紫陽花から仏法を学ばれては如何でしょう。

お寺に来ると、自然と仏教・仏法について何か連想する事もあるかと思います。

その時に、紫陽花の花言葉から今回お話し致しました仏教の話を思い浮かべ、現在の自分はどんな事を想うのか内観してみるのも、風情があるのではないか、そんな事を考える今日この頃で御座います。



合掌

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