有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。
前回は、第5回清浄華院24時間不断念仏会2016in京都の体験談前編と言う事で、事実の羅列のような話を展開致しました。
今回は、第5回清浄華院24時間不断念仏会2016にて味わわせて頂いた事や、感じた事などを中心に、お伝え致します。
私が個別に感じた事や味わったこと、頂いた事柄などが中心であります。
清浄華院での24時間不断念仏会との御縁は、今回で2回目、この別時念仏会自体は3回目の御縁で、何を味わい頂き、何を感じたのか、あなたに感じ取って頂ければ嬉しゅう御座います。
24時間不断念仏会に味わう不断念仏の歴史
「24時間もお念仏とか、しんどい」と、思われる人もいらっしゃるでしょう。お念仏の数に関して言うならば、京都の地名にもなっている「百万遍(ひゃくまんべん)」のお念仏を称えられた話が思い出されます。
この「百万遍念仏」は、京都市左京区に御座います知恩寺で、空円上人が後醍醐天皇の勅命により、不断念仏をされていた時の話です。
現在では、毎月15日にはその事にちなんだ「百万遍大念珠繰り」が、知恩寺名物となっております。
浄土宗には、このような「寝ても覚めてもお念仏」と、不断念仏というお念仏の称え方にも歴史があり、その歴史が受け継がれているという深みと味わいを、頂いておる次第で御座います。
そしてそれは、「自分はこれだけ念仏修行したんだ」という自己満足や自己顕示欲のためではなく、人々の救済のために称えられてきたお念仏であります。

第5回清浄華院24時間不断念仏会2016で、世界と繋がり味わった御縁
京都で開かれた、第5回清浄華院24時間不断念仏会2016は、清浄華院へ脚を運ばれた人の人数は、私を入れて89人であったと、回向の後に発表されました。雨も降っておりましたし、この89人参加という人数が、多いか少ないかは、個々の感じ方によりけりでありましょう。
ただ、最後に土屋正上人が伝えて下さったように、インターネットで世界と繋がりながらのお念仏は、つながりが広がる可能性は計り知れません。
知名度やお念仏を称える事への関心も、まだまだこれからかもしれませんが、今後の広がりの可能性につきましては、大いにあるだろうと思うところで御座います。

今年も24時間不断念仏会にて、お念仏により国境を越えて繋がる
今年は、去年私が感銘を受けた言葉と出会えた場所、フランスはパリにありますヨーロッパ仏教センターとも繋がり、また、ブッダガヤの仏心寺とも繋がっておりました。お念仏、「南無阿弥陀仏」は、国籍も国境も越えて繋がれる事は、24時間不断念仏会にて、経験させて頂いております。
フランス・パリの仏教センターとは、今年も「お念仏は国境を越えて人と人とを繋げて頂ける」と言う事を、俳句にしてやり取りされた事に、深い味わいと尊さを頂いております。
今年は、清浄華院側からは「パリ 京都電波で結ぶ十夜かな」という一句を、パリの仏教センターへ届けられました。
お念仏が、人と、そして世界と繋がるという事については、2016年1月に、機関誌「華頂」にて、24時間不断念仏会を開催して下さっている土屋正道上人が、「世界をつなぐお念仏の声」という表題で、お話し下さっています。
24時間不断念仏会や、お念仏を伝えるという活動は、何か特殊なことをしよう、という取り組みでは御座いません。
お念仏の広がりによって、人々が救われるように、という法然上人の在り方と教えにも通じる活動です。
もちろん、インターネットを活用した取り組みは、現代特有のことではありましょうが、繋げ方の方法論は個別には違えど、お念仏で救われる人への願は、通底しているものがあるように、私には思えるのです。
24時間、絶え間なく共にお念仏を称え、世界とお念仏により繋がる御縁。
土屋正道上人は、機関誌で
「法然上人が、現代という時代に生きていらっしゃったならば、国籍を超えてお念仏を一緒に称え、万民救済を願ったに違いありません」
と、仰っています。
国籍も、国境も越えて、ただ一向に念仏申すという教えによって、世界中の人に救いの繋がりを、確かに法然上人ならば実現されていたのではなかろうか、と、希望を感じさせて頂けることに御座います。
法然上人が、もしも現代というこの時代にいらっしゃったならば、お念仏による世界平和も、本当にされた居た気がする、そのような味わいを頂いたことです。
ちょっと例えとしては相応しくないかもしれませんが、このような話が御座います。
残念ながら完全達成はなされなかったものの、フィリピンにはプロボクシング世界6階級制覇を達成された、マニー・パッキャオさんという方がいらっしゃいます。
一時期、マニー・パッキャオさんの試合時間は、フィリピンで一切の犯罪がなくなっていたそうです。
お念仏も、全ての人が24時間、「ナムアミダブ南無阿弥陀仏・・・」と、右手では木魚をたたき、左手は数珠でお念仏の数を数えている間、物理的な意味においても平和が実現出来ると考えております。
だって、座して木魚を叩き、数珠で数を数えながらお念仏している間、人も殴れませんし武器も取れません。
「ただ一向に念仏すべし」と、念仏三昧に到れば、全ての人が共にお念仏を、お念仏と共に生きている時空間が、そこには御座います。
その場は、阿弥陀仏の名による救いがあることでございましょう。
24時間、本当に全世界で全人類が一斉にお念仏をしている間は、世界平和が実現されている瞬間では無いか、と、夢物語だと揶揄されるかも知れませんが、私が経験させて頂いた事から、そのような事を感じる次第で御座います。
ブッダガヤとの繋がりに感じるお念仏
第5回清浄華院24時間不断念仏会2016in京都では、最後の1時間はブッダガヤに御座います仏教寺院、仏心寺と繋がっておりました。仏心寺には、私もお世話になった浄土宗僧侶、清水上人が人々と共にお念仏に励まれる姿をスクリーンで見せて頂いた時に、尊いと感じさせて頂いたもので御座います。
清水上人は、日本とブッダガヤを行き来されているお坊さんで、仏教・仏法を伝えて下さる若き僧侶です。
清水上人が行かれている仏心寺があるブッダガヤとは、仏教においてとても大切にされている地であり、釈尊(お釈迦様・ゴーダマブッダ)成道の地(悟りを開いた地)であります。
24時間不断念仏の終了時、土屋正道上人がブッダガヤについて少し話をして下さった時に、仏教の歴史をふと考えさえて頂きました。
釈尊が悟り、その教えがインドから中国へ、そして日本へ伝わり、時代を経て法然上人がお念仏の教えを広められた、という歴史を思い、歴史の深みと、時代を経て教えが伝わる事への尊さを頂いたことに御座います。
ブッダガヤで釈尊が悟られたから、そして、真宗・浄土真宗の正信念仏偈で読まれる七高僧をはじめ、多くの人達が伝え続けて下さったからこそ、お念仏が今に伝わっている。
そして、その教えがあったからこそ、私は24時間不断念仏会に参加させて頂けて、そこで出会いがあり、私を救って下さったお坊さんとの出会いもある。
その事を考えると、何か一つだけでも欠けていては、今の私も存在していなかったのだろう、という、歴史という時代の御縁・時間軸においては縦の御縁を、改めて感じさせて頂くに到りました。
インターネットにて、お念仏による横の繋がりを、そしてブッダガヤと結ばれている中継にて、歴史という縦の繋がりという御縁の味わいを頂けて、感謝致す次第で御座います。

24時間不断念仏会で、世界と繋がる事による味わった「共生(ともいき)」
24時間不断念仏会にて、インターネットを活用して世界と繋がっている事に、私は浄土宗が説いて下さる「共生(ともいき)」の味わいを頂いております。「共生」とは、読んで字の如く「共に生きる」ということで、横の繋がりを感じさせて頂ける御言葉です。
浄土宗では、もちろん横の繋がりも大切にしている教えを説いて下さっていますが、これだけではありません。
「共生」には、縦の繋がりの大切さ、歴史の繋がりも説いて下さっています。
今、私達一人一人が生きている、この世に生を受けたことは、両親の存在があるからこそです。
生物学的に観ても、このことは把握できる事で御座いましょう。
そして、その両親にも両親がいて、と、命には必ず縦の歴史があるのです。
この「歴史という縦の繋がり」と「同じ時代の現世で共に生きる横の繋がり」を大切にする、これが「共生」の教えである、と、私は味わいを頂いております。
今回の京都の第5回清浄華院24時間不断念仏会では、この「共生」を、改めて味わい、大切にさせて頂きたいと思うに到った次第で御座います。
法然上人の教えを受け継ぐ浄土宗、そして色々な別時念仏会を開催して下さる土屋正道上人をはじめ、世界の浄土宗寺院、そこにいらっしゃる上人達のご活躍を、応援する次第で御座います。
今回の別時念仏会の様子は、前編で記して御座います。
参照:「第5回清浄華院24時間不断念仏会2016体験記前編|京都で南無阿弥陀仏」
また、今回の京都は清浄華院で開催されました24時間別時念仏会以外の別時念仏会は、こちらにも御座います。
参照:「増上寺の24時間不断念仏会2016の感想体験記|前編・とにかく南無阿弥陀仏」
参照2:「増上寺の24時間不断念仏会2016の感想体験記|後編・仏教を体験し身近に感じる」
参照3:「ミッドナイト念仏in御忌2016に行ってきました」
参照4:「十夜法要(浄土宗の仏事)を京都で味わう|十夜フェス2016」
お念仏との出会いによって救われる方が一人でも多くいらっしゃる事を想い、また、世界平和に繋がる取り組みへの応援をさせて頂く次第で御座います。
合掌、南無阿弥陀仏