有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。
2016年4月分のNHK・Eテレの放送番組「100分de名著」のテーマが
:歎異抄(釈徹宗さん解説)
という事は、実は最初の放送が終わった次の日でした。
早速、本屋へ行って100分de名著のテキストを購入して、再放送分をしっかりと視聴致しました。
「100分de名著」は、本放送が月曜日の22時25分から22時50分であり、視聴出来る都合が私の場合は再放送になります。
再放送は水曜日の午前5時30分から午前5時55分まで、正午の午後12時から午後12時25分までとあり、1回目はお昼休みの正午からを視聴致して学びました。
早起きするために、午前5時30分からの再放送分を視聴するようにしようと、画策しておるところです。
ちなみに、以前は100分de名著で「般若心経」も解説されていたようです。
釈徹宗さんは歎異抄解説以外にも話がわかりやすく、100分de名著でも健在
釈徹宗さんの本は、内田樹さんとの対談本をはじめ、色々と読んでおります。私の場合、歎異抄自体は龍谷大学在学中に仏教学の授業で学んだ事がありますが、仏教と再会して釈徹宗さんの本で学び直したという経緯があります。
わかりやすく、しかも誤解しない、あるいは誤解を解いて下さるように解説して下さっていると感じたものです。
私が、歎異抄を改めて学ばせて頂いた本は、釈徹宗さんの「親鸞の教えと歎異抄」です。
以前、東本願寺文庫に顔を出したときに、探してみたけれども見当たらなかったから、通信販売で購入させて頂きました。
この釈徹宗さんが書かれた歎異抄解説書が、私にとっては一番わかりやすかったという印象があります。
私にとっては、この本が一番わかりやすかったけれども、他の解説本と比較したり、自分が一番読みやすい本を探されると良いでしょう。
釈徹宗さんについては、以前ちらっと話した事がありますが、真宗教化センター しんらん交流館で2015年12月に開かれた釈徹宗さんの講演に参加させて頂いた事があります。
その時も、実例を挙げながら大変わかりやすく、その時のテーマを話して下さって、凄く丁寧にわかりやすく解説して下さる方だという印象を強くしたものです。
「100分de名著」でも、それは健在であります。
そういえば、「100分de名著」の1回目の放送でお話しされていた「自分が、良いことしていると思ったらいかんぞ」「それは自分都合でやってる事じゃないのか?」という、戒めの声が聞こえてくると話して下さっていました。
真宗・浄土真宗は「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」のお念仏を称えさせて頂く宗派です。
この「称えさせて頂く」という言い回しが重要で、称えさせて頂くと同時に「お念仏を聞かせて頂いている」事でもあるのです。
お念仏は、声に出して「南無阿弥陀仏」と称えさせて頂いていたら、自ずと自分の耳にも入ります。
そういう物理現象的な事もそうですけれども、称えさせて頂くと同時に、「ああ、聞かせて頂いているんだなあ。」と言う事も感じ取れるのです。
その称名念仏が「自分の都合だけで生きていないか?」と言う事に気づき、「自分都合を捨てて、阿弥陀様にお任せ致します。」という事を思い起こすきっかけになる、ということにも繋がります。
南無阿弥陀仏や歎異抄には、釈徹宗さんが教えて下さるように仏教の基本理念・教義である
:七仏通誡偈(しつぶつつうかいげ)
を常に思い起こさせて下さる教えなり概念という捉え方も出来ます。
この辺りの事を、100分de名著でも、釈徹宗さんはご自身の体験・経験も取り上げながら、わかりやすく解説して下さいました。
易行について「易行難信」
「100分de名著」の歎異抄4回シリーズ第1回目の放送で、釈徹宗さんが「難行・易行」について解説して下さっています。「難行・易行」については、「正信念仏偈(正信偈)」にも記されている言葉でもあります。
正信偈では
:顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽
というところで「難行・易行」という言葉が出て来ます。
「難行」と言うのは、天台宗の千日回峰行やお堂にこもる修行のように、心身共に行う事が難しい修行の事です。
仏教の修行というと、千日回峰行や瀧行、1週間ずっと坐禅をするという、仏教をよく知らない人でも、それらの修行をしている僧侶・雲水の姿を見ると「あ、修行をされているな」とわかる修行の形を、「難行」と捉えるとわかりやすいかもしれません。
「苦行」とも言い換えられる修行の形です。
この「難行・苦行」を修め、自力にて悟る事に達しようとする事を「聖道門」と言います。
釈徹宗さんは、このことを「悟り型宗教」と解説して下さっています。
一方「易行」というのは、読んで字の如く、南無阿弥陀仏を称えさせて頂くというような、易しい行の事です。
「易行」は、「浄土門」と解説されています。
この「聖道門」と「浄土門」という分け方は、仏教が日本に渡る前からあり、正信念仏偈(正信偈)で読まれる七高僧の1番目に読まれる高僧、龍樹さんが分けられたと言われています。
そして、仏教が中国に渡り、これまた正信偈で読まれる七高僧の一人、雲鸞大師が「他力」と「自力」に分けられました。
ちなみに、親鸞聖人の「鸞」は、雲鸞大師に由来します。
そして、これも釈徹宗さんが別の本でも解説された事がある、
:易行難信
という概念があります。
難行って、心身共に厳しい修行をしますから、いかにも「修行している!」という感じがします。
どのような修行も身体性のある修行をしますから、修行してる感というのは自他共にわかりやすいでしょう。
一方の易行は、南無阿弥陀仏と称えさせて頂くだけ等、易しい行をするわけですから、身体性や修行をしている感というのは薄く感じられます。
でも、だからこそ信心を持ち続ける事が難しい、ということでもあるのです。
易行は、身体性の有る修行や厳しいと見える行動をしませんから、生真面目な人ほど「こんなんで本当に良いのか?」と、不安感なり疑問・疑念を抱きやすい傾向があります。
ゆえに、易行で己の信心に確信を得ることは難しい「難信」という事に繋がっていきます。
注意すべきは、難行と易行のどちらが良いか悪いか、と言う事ではありませんからね。
「難行と易行がある」と、まずはその事を理解する事が大切です。

100分de名著「歎異抄」にて、釈徹宗さんの解説が今後も楽しみ
私は普段、あまりテレビを観ませんけれども、:100分de名著「歎異抄」
は、釈徹宗さんの解説もわかりやすくて学べると言う事もあり、全4回を再放送にて視聴する事に致しました。
第1回目の放送では、「他力本願・本願他力」などの概念や解釈って、誤解されやすいということが多々あるということを教えて下さいました。
学ぶ時には、歎異抄の内容や親鸞聖人の教えを誤解してしまい、作者とされている唯円さんが歎き懸念されていた事に陥らないようにつとめたいものです。
合掌
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[…] 参照先:「100分de名著「歎異抄(釈徹宗さん解説)」放送第1回」 参照先2:「100分de名著「歎異抄」第2回の放送|悪人正機説」 […]